博多から建設を開始した九州鉄道は 明治22年 に博多千歳川(仮)間で開業し、門司方面では 明治24年4月1日 に博多−門司間が全通した。
初代の駅舎は現在地より200mほど山側にあった。
なお本州側では、山陽鉄道が
明治22年9月1日 兵庫-神戸間で開業し、明治30年には徳山に到達、明治31年8月1日 からは徳山−門司間で連絡船を介して九州鉄道との連絡が開始された。明治34年5月27日には神戸−馬関(下関)間の鉄道が全通し、同日より、連絡船は馬関-門司間となった。明治39年12月1日、鉄道国有法により、山陽鉄道・九州鉄道ともに国有鉄道となり、関門連絡船も国有となった。
大正3(1914)年には2代目の駅舎(現存)が完成して、連絡船との乗り換えも便利になった。昭和17年には関門鉄道トンネルが開通し、門司駅は門司港駅と改称さ、大里駅が門司駅になった。このとき貨車航送(下関−小森江)は廃止となったが、旅客便は昭和39年10月31日まで存続した。当時の乗り換え通路が門司港駅構内に残っている。