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南省けん−三省   1991年8月12日現地調査  
南省けん駅から三省駅までは京釜線建設工事中最も難工事であった。この区間に存在する省けん隧道(1.1km)がネックとなっていたのである。日露開戦に備えた日本政府の京釜線速 成令によってこの省けん隧道の工事と平行して多段スイッチバック方式の仮線を隧道両口間に速成して全線の完成を急いだ。全線の開通は1904(明治37)年11月であった。この仮線は延長5km程で約10ケ月間使用された。しかし本線の省けん隧道も前後に連続25/1000の勾配区間があり運転上の難所となっていた。そのため大正9年2月から新隧道の建設に着手し大正12年5月改良線の運転を開始した。新線区間の新しい省けん隧道は2323mで当時朝鮮最長の長さであった。1943(昭和18)年3月にはこれに平行して複線の南行線の隧道(2480m)が完成した。
京釡線
 
南口 明治38年建造
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旧線 大正9年廃止  
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現在(北行)線 大正9年開通
大邱
蜜陽
朝鮮鉄道略図
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廃線跡・鉄道史跡
京釡本線案内
京釡・京義・安奉経由
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 廃線跡調査は清道バスターミナルから直行バスに乗ることから始まった。南省けんバス停から10分程歩くと京釜線省けん隧道の警備兵の監視所の脇を通って京釜線現在線の低い切取の底から勾配を昇ってくる旧線の跡らしき細長い土地の帯が今歩いてきた道に合流してきた。此処からはこの道が廃線跡となるわけだが尚も勾配を昇り続けて山へ迫っていった。道は右への緩いカーブを描き、樹木に遮られてその先の視野が閉ざされたまま道なりに進むと、その道はくねくね曲がった山道に変わり横に逸れていった。そしてこれまでの道の延長線上に切取で山の断面に接近して行く畑が現われた。その山の断面にはなんとトンネルの抗口がコンクリートで蓋をされてはいたが完全な姿で、しかも額石までもしっかり付けたまま残っていた。たしかにこれは68年前に廃線となった省けんトンネルの跡である。これほど長い年月完全な姿で残っている鉄道遺跡を見たのは初めてであった。
工事中のトンネルと、スイッチバックの旧線を行く列車 絵葉書
昭和5年発行 地形図
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