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漢江鉄橋  
京仁線と共用していた漢江橋梁(永登浦-龍山)は運転密度の増大により改築の必要に迫られ1912(大正元)年には新橋梁完成、そして1913(大正2)年には旧橋梁の改築でこの区間の複線化が完成した。更に1944(昭和19)年8月、列車回数増加と機関車の重量増加に対処する為に京釜線用に複線型の新橋梁が完成して、京仁線は在来橋の使用により分離された。京城−永登浦間の複々線化である。現在でも京仁線用の電車線の橋は石積の古い橋脚を補修したものを使用している。なお現在京仁線仁川方面行き電車が利用している第二橋は龍山側でソウル方面電車用の第一橋との複線橋であって、途中でカーブして独立した単線橋になる。漢江がかつては現在の凡そ半分の河幅しかもたず、龍山側約半分は砂州になっており、その砂州のなかに避溢水路があった。第一・二橋梁は当初、本橋と避溢路橋からなっており、その間は築堤で結ばれていた。
京釡線 
鷺梁津付近
ソウル
沃川
鷺梁津駅付近(韓国鉄道発祥の地)  
鷺梁津駅構内の端、漢江橋梁の袂には「鐵道始發地」の石碑がある。1899(明治32)年9月18日京仁鉄道は漢江橋梁を含む鷺梁津−京城間を除く33.6km、仁川−鷺梁津間の鉄道建設を完成し仮営業を開始した。これが韓国最初の鉄道であった。この時の京城側起点がここという訳である。この後、1900(明治33)年7月8日には京城(西大門)−仁川間の全線を開通し て同年11月12日には西大門駅で盛大な京仁鉄道全通記念式が行なわれた。京仁鉄道は明治36年にはまだ開通前の京釜鉄道に合併され、京釜鉄道の開通した1905(明治38)年からは永登浦−京城(西大門)間は京仁線との共用区間となった。 
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しかし、その、後従来の築堤部分を含めた龍山側約半分を全部複線型橋梁として改築し、従来の本橋に連結した。現在は拡幅された漢江の真ん中でカーブする奇妙な第二橋はこのようにして出来上がったのである。 漢江橋梁 左が第一橋、右が第 二橋。第二橋が龍山 側でカーブしている のが解る。現在京釜 線が使用している第 三橋はのちに左手下 流側に架けられた。 またこれは漢江中央 部に砂州があった時 代の絵はがきである。 
朝鮮鉄道略図
廃線跡・鉄道史跡
京釡本線案内
京釡・京義・安奉経由
欧亜連絡
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