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京義本線略歴
京義線 龍山線 
路線略歴
京義線     
龍 山-新義州  498.2 明治39.04.03
直通運転開始時 現龍山線ヲ含ム
新義州-安 東     2.6 明治44.11.01 鴨緑江橋梁完成                     
南大門-水 色     8.5 大正09.11  
新村経由(京仁線西大門駅廃止 大正08.03.31)           
京 城-平 壤    260.7 昭和17.05.  複線開業               平 壤-新安州   75.7 昭和20.03.  複線開業               新安州-嶺 美   12.9 昭和20.06.01 複線開業               嶺 美-新義州 147.4 昭和20.03. 
複線開業 南市-新義州間は楊市線とも3線        
新義州-安 東    2.6 昭和18.05.15
複線開業 鴨緑江複線橋完成 旧橋梁は予備            
土 城-安 東 △416.8 昭和20.08.15 南北分断により放棄       
mun山-土 城    △36.5 1953    
朝鮮戦争休戦ライン設定により放棄       
ソウル-水 色       8.5 1968.10.20 複線復活(水色-mun山間は朝鮮戦争後単線)
京義線は
京釜線と共に朝鮮半島を南北に縦断して日本と満州を結ぶ幹線鉄道で対露戦略上不可欠な兵站線として位置付けである。京釜線は1901(明治34)年に起工されたが工事資金不足のため日露開戦の翌年1905年11月になってやっと京城−釜山(草梁)が開通した。ところが京義線の建設免許がなかなか日本に許可されず1903(明治36)年になって免許を受けていた大韓鉄道会社からその免許の譲渡を受けることが出来た。しかし日露開戦時には工事着工を許される状況ではなかった。そこで日本は韓國と日韓議定書を取り交わして、日本の対露戦争遂行にあたって鉄道の建設を含む様々な分野での協力を約束させた。このようにして京義線は軍用鉄道として臨時軍用鉄道監部によって建設が開始されたが、全通は日露講和条約締結後の1906(明治39)年のことであった。当初の目的である日露戦争の輸送路としての機能は果たせなかったが、京釜京義線を介しての朝鮮半島縦断鉄道を日本が独占できたことは後の日韓併合への足掛かりとして重要な意味を有することとなった。そしてその後朝鮮半島を介して日本と中国を結ぶ大動脈として活躍することになった。開通当時ソウル付近は龍山から水色まで現在の龍山線の経路を通っていた。つまりソウルの中心地南大門駅から出発する列車は龍山で方向転換を必要としたのである。しかし客貨輸送が繁激になるにつれ、列車運転時間の短縮と列車整理上、南大門駅から直接水色駅に至る線路が必要になった。このため1920(大正9)年現在の京義線の経路である新村経由の 新線が建設され従来の龍山−水色間は廃止された。また前年の1919(大正8)年、京仁線の起 点であった西大門駅が廃止され、ソウルのターミナル駅は南大門に統一された。1923(大正12)年1月1日には南大門駅は京城駅と改称され、1925(大正14)年10月25日には東京駅を模した現在の駅舎が竣工して名実ともに朝鮮を代表する駅となった。。
旧線の龍山−水色間のうち
龍山−西江間を利用し更に西江−新村・西江−唐人里を建設して、龍山線が1929(昭和4)年に旅客営業を開始した。更に1943(昭和18)年になると、水色操車場が開設され、京城駅を経由する事無く直接水色操車場に入線出来る貨物線として、旧線の龍山−水色間全線が複線で復活した。またこれと同じ理由で、朝鮮東北部を経由して中国とを結ぶ幹線として活躍していた京元線と水色操車場を直結する路線として、現在のソウル郊外線が着工された。しかし、この路線は終戦までには完成できなかった(1963年全通)。日本の敗戦によって、京義線は南北に分断されて米ソ軍に接収された。当初は、北緯38°を南北境界線としたために南側の京義線はソウル−土城間となった。また日帝時代に狭軌王国として知られた朝鮮鉄道を買収した土海線の土城−青丹間(58.8km)も南側となっている。しかし朝鮮戦争は南北両軍の勢力境界線が朝鮮半島全域にわたって前進後退を繰り返すという激しい戦いであり、その後の休戦ラインが北緯38°線とは異なってしまったために_山で打切りの形となった。したがって京義線はローカル線に転落し単線化された。また水色操車場も重要性が減少し龍山線龍山−水色間も単線化された。その後水色操車場の跡を客車基地に利用するようになり、一度は単線化された京義線ソウル−水色間が再び複線化された(1968.10.30)。現在はソウル発着の客車基地として利用され、この区間を回送列車がたいへん多く走っている。ソウル市街循環線として走り続けた龍山線は、新村−西江間(1975)、西江−唐人里間(1982)が廃止され、現在は龍山−水色間のみの貨物線となっている。
京義線案内2
廃線跡・鉄道史跡
京釡本線案内
朝鮮鉄道略図
京釡・京義・安奉経由
京義線案内1
欧亜連絡
龍山線  
龍山    自龍山0.0  --- (明治33.-7.-5 京釜線)      
             元町     1.2  1.2 昭和04.-9.20 解放後<孝昌>駅ニ改称、
                                                  現在ハ龍山起点1.8km                  
             弥生町   1.8  0.6 昭和04.-9.20 昭和19.-3.31駅廃止      
              孔徳里   2.4  0.6 昭和04.12.-1 昭和19.-3.31駅廃止      
              東幕     3.2  0.8 昭和04.-9.20 1982.-6.10駅廃止      
              西江     4.3  1.1 昭和04.12.-1 貨物駅トシテ現存      
              細橋里   5.0  0.7 昭和04.-9.20 昭和19.-3.31駅廃止、
                                                                       1982.-6.10区間廃止      
              放送所前  6.0  1.0 昭和07.10.16 1982.-6.10区間廃止      
              唐人里    6.7  0.7 昭和04.-9.20 1982.-6.10区間廃止      
              西江     4.3  --- ----------       
              延_      5.3  1.0 昭和05.12.25 昭和14.10.31駅廃止、
                                                                            1975.-8.15区間廃止
京義線  新村   5.9  0.6 (大正10.-7.11 京義線)      
              阿(山見) 7.2  1.3 昭和05.12.25 昭和19.-3.31廃止                    西小門   8.3  1.1 昭和05.12.25 昭和19.-3.31廃止      
              京城     9.0  0.7 (明治33.-7.-5 京釜線) 
廃止年月日ハ韓國鐵道庁発行鐵道要覧集及ビ朝鮮総督府官報ニヨッタ。
 
 
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