中央線
永川付近付け替え
昭和4年測図 地形図
旧 永川駅付近の畑の中に残る狭軌線の橋脚
写真:1990年8月16日
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琴湖川北側に残る狭軌線の橋台
写真:1990年8月16日
東海中部線 永川‐松浦 1990.-8.16
狭軌線時代の永川駅は現在の永川駅から3km程南にあった。その周辺の地名は現在「旧駅」と呼ばれている。大邱方面から来た狭軌線は琴湖江を渡ると永川市街を通る事無くすぐに東へ向かって松浦へ進んでいたが、京慶線が北方から来ることになったため永川市街の近くを通る現在線に移設されたのである。現在の永川駅は1937(昭和12)年12月、大邱-永川の改軌工事は1938(昭和13)年7月、永川-慶州の改軌工事は1939(昭和14)年6月に完成している。したがって、現在の永川駅には狭軌時代の東海中部線(大邱-鶴山)が乗り入れていたことになる。大邱-永川の改軌までの6ケ月、永川-慶州の改軌までの17ケ月はそれぞれ改軌新線用の路盤に仮に狭軌の線路を敷設して対処していたものと思われる。
これらの旧線の1990年8月の状況は次の通りであった。
旧永川駅跡は現在桃畑となっておりその面影は感じられなかったが、その南方に琴湖江橋梁の北岸側橋台が残っていた(写真1,2)。橋梁は現在新しく道路橋に架け替えられており橋脚も新規のものになり、南岸の橋台も残っていなかった(写真3)。
また標準軌線の橋梁には「朝鮮総督府鐵道局・昭和十三年」の銘板が残されていた。旧永川駅北方で旧線は東へカーブしており、この位置にも橋脚と橋台が残っていた(写真4)。その先は畑に姿を変え、更に先は道路となって松浦駅に続いているようであった。