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朝鮮北部・浦塩経由
良子洞
興海−清河
朝鮮鉄道略図
欧亜連絡
東海線
襄陽付近
江陵付近
慶州付近
浦項付近
梅院付近
東海北部線 (南部未成線)
 浦項 - 興海
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この区間は山に昇って迂回して反対側の出口を探すと、トンネル出口周辺の左右のコンクリートの壁を利用して農業貯水池に利用するためにトンネル出口と100m程の切り取り部分に盛り土をしてその中には水がたまっており、凍結していた。2番めのトンネルは400mほどであった。山が切れて平地に出ると道床は右に曲がった。この辺りには側溝を渡るための小さな橋台が残されていた。そしてここは城谷の集落の中にありもしかしたら簡易乗降場などができていたかもしれない。ここからは農地の中の築堤の上を道床が走っていた。一部は崩されて農地となった築堤は、その途中に橋台と橋脚が完全に残っている橋梁跡を挟んで興海邑の中心地へと進んでいった(写真5,6)。そしてその街の中心地のすぐ傍に接近するところにコンクリートで縁取りされた盛り土を見付けた(写真7,8)。もちろんホームである。この旅客用ホームの他に高さの高い貨物用ホームのコンクリートも残されていた。この区間は未成線ではあってもレール以外のすべての設備は完成していたようである。本来ならば南朝鮮と北朝鮮を直接結ぶ幹線として重要な役目をするはずであった東海線のおそらくは興海駅と名付けられただろうこの幻の駅が現在まで完全な形で現存していたのである。
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東海北部線(南部未成区間) 浦項 - 興海 1991.1/2
 浦項駅を過ぎると線路は2つに別れ、複線のようになってその先に続いている。右が鶴山への線路で、左が東海北部線未開業区間のものである(写真1)。なぜ未開業区間に線路が敷いてあるのかというと、この線路の終点には米軍の石油貯蔵基地があるからである。そこまでは4km弱であった。その石油基地の先で砂利道となった未成線は山のなかに進み、トンネルへと続いていた(写真2)。コンクリートで出来たトンネルは長さが250m程であって、現在も道として使われていた。このトンネルを抜けると道床は左に曲がって小さく開けた谷の部分を次のトンネルへと続いている(写真3)。その次のトンネルはその坑内を家畜飼育用に利用しているらしく立ち入ることは出来なかった(写真4)。
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