慶全支線 未成区間
潭陽-金果間
その橋の部分からは路盤は国道と離れて金城の集落の北に回りこむ。金城集落にはおそらく駅が設定されていたと考えられるのだが、探してもその跡は見当らなかった。金城集落を後にした未開業線路盤はさっき渡った川をもう一度渡る。ここにも橋の跡が残っていた(写真3)。そしてその金城寄りには堤防と高さをそろえる為の築堤の土留めのコンクリートが残っていた(写真2)が、その中の土は無くなっていた。金城の集落から金果集落への入口の防築里の集落へは約5kmである。その間は未開業線路盤は国道の北側に沿って続いていた。防築里には現在金果という名前のバス乗降場がある。そして鉄道の方にもおそらく金果という名前の駅がつくられる予定であったのだと思う。防築里に進入する未開業線路盤は国道よりも若干高いところを進み、その集落を過ぎる。その中にやっぱり予想どおり駅の跡を見付けた。潭陽駅の跡と同じように畑のなかに埋もれてしまってはいるが、ちゃんとホームの縁石が残っていてすぐに駅の跡だとわかった(写真4,5)
。幻の金果駅である。
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未開業区間 潭陽−金果 1993.8.11
畑のなかにきちんとホームを残してかつての終着駅の存在を示していた潭陽駅跡、そから市街部はずれの道路にそって未開業線は建設された。しかしはっきりとした跡は確認できなかった。舗装された国道が高速道路から離れて進路を金城集落に向けるところから、未開業線の路盤は今まで国道の南側から北側に移っていたようだ。その場所から路盤が現れた。そして錦月里の所には橋台と橋脚が残っていた。(写真1)
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