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京釡本線案内 1
欧亜大陸への国際幹線
京釜線本線案内
 さて、金泉を出て直指寺駅を過ぎると、名代の秋風嶺越えの勾配線となり、隧道を潜って慶北、忠北両道の境界を越え海抜217メートル、京釡線中の最高地点秋風嶺駅を通過する。旅窓遠く内地を離れ、何か一詩をものしたい様な感懐のあるところ。これから次第に下って山間の小駅黄澗 を経て永洞駅に着く。ここは忠北南部の盆地にあり、綿花、木炭の多産地で、蘆嶺山脈背部の要衝全北茂朱方面への通路に当たる。 線路は錦江上流の渓間に沿って深川・伊院の二駅を過ぎ、幾回となく上流の鉄橋を渡って稍広い耕地に出て沃川駅に入る。此の付近の主要産物は米、大豆、叺等で、ここの奥地には湖西の名刹俗離山法住寺があり、聊か無遠慮な俗離山とは少々恐れるが、珍しい山紫水明と伝えられる。沃川を出て忠清南北道の境、馬道嶺隧道を潜ると眺望忽ち開濶、暫く平野を過ぎて忠南交通上の要衝大田駅に着く。特急「あかつき」号が大邱から2時間10数分、158キロ餘を走破して第二に停まるところ、駅は湖南線の接続地点である。 
 
釜山
 大田は新興近代工業地・製糸・皮革・醸造等の工場 簇出して活気あふれるところ、名産には柿があった。列車は大田を出る。暫らくして丘陵起伏地に進み懷徳・新灘津の諸驛を通過し、錦江上流を渡って再び忠北に入る。此の辺り江畔の地は蔬菜畠広く西瓜・大根等の産出が多い。又朝鮮の異國情緒を強く表現する砧石の産地と云う。次は芙江、ここで再び錦江を渡り内板驛を経て鳥致院驛に着く。ここは朝鐵忠北線の分かれる處である。鳥致院驛を過ぎ一路北進、全東・全義・小井里等の寂寞とした丘陵間の小驛を経て天安驛に入る。朝鐵京南線は此の驛から十字に交叉して北東に行けば長湖院、そして西南に行けば群山である。天安附近も砂金の産があり、その試掘地が車窓間近に頗る広い。天安を出て次は成歡驛、誰も知る日清戰役の古戰場でその忠魂碑が右窓に仰望し得られ、又有名な甜瓜の多産地である。間もなく渡る小流は安城川、忠南から京畿道に入る境界に當るところ、此邊廣漠とした平圃を走る。次驛平澤はその文字通りの平坦地、平澤・西井里・烏山各驛と、何れも米の多産地或いは牛の取引の多い農村を、列車は白煙を上げて一直線に北進する。次驛餅店に近付けば左窓には珍しく老樹鬱蒼、翠緑深い李朝の御墓所華山が見え、程もなく朝鮮造りの丹碧鮮やかな水原驛に着く。驛前は新興の町で舊邑は少し離れているが、昔行宮の置かれた跡、その山水の美に城壁、樓門、画閣を織り込んで朝鮮型の情緒豊かな處。附近には總督府の農事試驗場がある。驛は京東鐵道の接続がある
水原を出ると西湖貯水池を左窓にして、悠々とした太公望姿を見送り、軍浦場驛を経て冠嶽山を右に仰ぐ安養驛を過ぎる。もはや其處は京城郊外で、此の辺り果樹園が多い。猶始興の小驛を過ぎると永登浦に着く。ここは漢江對岸の新興工業地、昭和麒麟ビール・朝鮮ビール・朝鮮皮革其の他の諸工場が多く、殊に京仁線の乘換驛として仲々の繁昌の處である。京仁線はここから西へ凡そ三十粁、有名な仁川港へ到達する。線路は永登浦を過ぎると左窓に漢江の砂州を隔てて、悠々京城市街が遠望せられ、國際飛行場の傍らを経て鷺梁津驛を過るとすぐ漢江の長橋を渡る。右手に見える一線は、元山・咸興・城津・羅南方面へ向う京元・咸鏡線で、京釜・京義の兩線が幹線なるに対し、是は實に北鮮を経て友邦満洲國へ続く重要な複線の意義をもつものである。この両線相合して構内甚だ廣大な龍山驛に入り、斯くして列車は既に京城市街の一部に到達した。列車は猶是から暫し北進して第二十師団兵営、市街電車等を右に、又漢陽の高臺に鎭座まします半島鎭護の大社朝鮮神宮を拝しつつ、遂に京城大停車場に着く。
京釡・京義・安奉経由
 次駅亀尾は南方に金烏山が仰がれる 農村で、その金烏山付近には城址や瀑布や古刹があり、朝鮮古代史の好資料と云う。なお進んで牙浦・大新の二駅を過ぎて金泉駅に着く。 ここは慶北線 の乗り換え駅で、その沿線には聞慶の炭鉱、咸昌の黒鉛、それから終点安東は麻布、焼酎の産地で、木材、葉煙草等の発送も多く、又金泉の付近麦の集散地として相当の賑やかさである。
朝鮮鉄道略図
鷺梁津
欧亜連絡
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