上海は列強諸国の租界が並ぶ中国にして西洋建築の立ち並ぶ繁華な都市であった。鉄道は北京から津浦鉄路・京滬鉄路によって結ばれ、揚子江の支流の黄浦江には日米加英の外航客船が立ち寄り、香港、欧州、日本、米国、加奈陀に連絡していた。
上海の鉄道停車場は北駅と南駅があり、南駅は杭州方面の列車の発着する小さな駅、北駅は南京、北京方面の列車の発着する大きな上海を代表する駅であった。上海北駅は1907年に竣工し、赤レンガと白色バンドの組み合わせの当時流行した外観の駅舎であった。この駅舎も、上海事変の戦火に消失し、焼け残った部分の利用して2階建ての駅舎に改築された。この駅舎は戦後も1987年まで使用され続けた。今でも(2001年)その建物は残り、新市街電車の宝山路駅から眺めることが出来る。代わって上海の玄関口となった(新)上海駅の駅舎は建て替えられて2001年には更に新しい駅舎となった。残っていた元の上海北駅の建物は、鉄道博物館の新しい建物に建て替えられている。(2006年現在)