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長崎港
日華連絡船連絡列車
上海航路
廃線跡・鉄道史跡
上海航路
大連航路
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CP 香港バンクーバー
国際連絡都市 下関・門司・長崎
キリシタン大名大村純忠は元亀2(1571)年、自領の長崎を開港し貿易港としての長崎が始まった。寛永17(1640)年の徳川幕府の鎖国政策の強化までは、ポルトガル、そして鎖国下の江戸時代には唯一の開港場としてオランダとの交易を出島において行っていた。安政の開港(1859年)では鎖国が解かれ長崎には欧米各国の船舶が押し寄せるようになり、大正12年2月11日には、日本郵船が客船「長崎丸」をして長崎−上海間の「日華連絡船」を開設し、日本中国間の大幹線となっていった。
 
 
九州鉄道は、博多から始まり、千歳川(久留米の対岸)まで明治22年、24年までには門司−熊本、鳥栖−佐賀の区間を開業した。その後長崎線方面では、武雄・早岐・大村と進み、明治31(1897)年の諫早−長与間の開通で、長崎本線鳥栖−長崎(現浦上)間が全通した。佐世保の軍港に到達するのが優先させたため、現在の佐世保線経由のルートが先の開業となっている。肥前山口−諫早間の現在の長崎本線は昭和4年に着工され、昭和9年12月に全通した。長崎港へは昭和5(1930)年3月19日の開通である。
 
長崎港駅跡には、長くホームが残されいたが、現在はそれも無くなってしまった。
景勝の長崎 (吉田初三郎,1934)  別冊太陽より
長崎港駅 
上:停車中の列車 (日本地理大系 改造社 1930) より 
下:停泊中の日華連絡船 戦前絵葉書
1:50,000 長崎 昭和20年
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長崎駅 戦前絵葉書
日本の玄関
欧亜連絡
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