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朝鮮京東鉄道 水麗線
新葛ー龍仁
水原−新葛
龍仁−午川
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廃線跡・鉄道史跡
水麗線 略歴
朝鮮鉄道略図
京釡・京義・安奉経由
欧亜連絡
漁汀駅は現在のバス停留所の裏手にあったようだが、そこには空き地が残っており農協の倉庫があり駅の跡の面影は十分であった。 漁汀駅を過ぎて道となった旧線跡はカーブをしながら川へと続いており、その川には鉄道橋時代の橋台と橋脚を再利用した橋が架かっていた(写真:上)。そこからは築堤の上の道路がしばらく続き、トンネルへと吸い込まれていった(写真:中)。トンネルは約500mの長さがあり、中は農機具置場となって入り口には蓋がしてあったが、くぐり戸程度の入り口が開いていた。中をのぞくと反対側の光が見えていたがどうも気味悪く歩く気がしなかったので、山の上を巡回する道路によじ登ってこれを歩いて反対側へ出てみた。トンネルの出口付近はゴミ棄て場のような状況になっていてトンネル出口には接近できない状態だ。トンネルから先はやはり道として続いており、国道と再び接近する辺りでは橋台が残り(写真:下)、国道と平行する部分の築堤は崩されて住宅地になっていた。しかし土で出来た築堤は簡単に崩せてもコンクリートで出来た橋台は崩しづらいらしく、そのまま家の壁の一部として利用しているケースが多かった。そしてその住宅地を越えて国道と再び接近する所にくると国道脇の道床跡地が広くなったところがある。ここが三街駅跡であると思われる。ホームの跡などは何もなかったが地図からみてもこの場所であるようだ。
 三街駅跡を過ぎて少しの間は橋台や道床跡の道路が残っていたが、すぐに龍仁の街の中に入って再開発されてしまっていて跡形はわからなくなった。古い地形図によって龍仁駅のあった位置を探したが、塀に囲まれた空き地になっているようでその詳細を調査することは出来なかった。
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新葛-龍仁 調査年月日 1990.12.29
 ソウルの南部バスターミナルから新葛行のバスに乗ると30分もかからずに新葛に着いた。高速道路を降りてすぐの所にバス乗降場があるのですぐに廃線跡に合流することが出来る。もう日が昇ったというのに非常に寒い、氷点下6、7度くらいだと天気予報は云っていた。これから約6時間この寒さの中を歩こうというのだからこの趣味も楽ではない。しかしここは韓國、キムチ鍋定食なる辛い料理を食べたら汗をかくほどに暖かくなった。廃線跡は国道が新葛川に沿ってカーブする辺りから姿を見せ始めた。橋台(写真5)から続く帯状の空き地がそれである。その空き地は部分的には道として使われ、そして資財置場になっていたり建物が建っていたりした。その廃線跡は途中から国道と別れて漁汀方面への旧道に沿って進んで行くこととなる。国道から別れた付近においては旧道よりも数メートル高い位置に築堤が残っており、しだいにその高さは旧道と近付いてくる。その間に道床跡の一部は私有地に払い下げられたのであろうか工場の用地の組み込まれていたが、そうした中にもコンクリートの側溝用の橋台は残っていた。 






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