a090009.gif
a002012.gif
a002012.gif
利川-梅柳 調査年月日 1990.05.02
 利川駅から先、市街部をすぐに抜けて道床跡の道は右にカーブして地方道(県道)に接近する。廃線跡は住宅に遮られて不連続となるが100m程すると地方道から離れて東に進む旧線跡が再登場した。ここからは土で簡易舗装された道路として福河川迄続いている。福河川の橋梁は結構長くて橋脚が14本も残っていた(写真:上)。しかし橋桁がなかったので旧道の延長上に架けられた丸太橋のような頼りない橋を渡って対岸に行った。橋梁跡から続く廃線跡は岡のなかを勾配を昇って進み、韓國ヤクルトの工場の横を過ぎた辺りに茂村駅が在ったはずであるがその跡はよくわからなかった。
 茂村駅跡の後、国道と交差した旧線は石垣の横をカーブして行くと土地の盛り上がり部分を切り取りで越えていたが、道はこの部分を放棄して土地の起伏に沿って進んだ。道床跡の築堤が左にカーブするとその先には田圃のなかに橋の跡が残っていた。橋桁はなく道はそのすぐ横を新たな橋で越えた。そして竹堂駅の跡にさしかかった、この駅は簡易駅であったからやはり確かな痕跡はなく土地の広がりが駅が存在していたことを示していた。
 茂村から驪州まではバス通りから全く外れたところを通っているので、旧線を通る車は少ないから安心して歩けるが、道としてはお粗末な区間が多く、今日のような雨上りの日には道がぬかって足元に気を付けないと泥にはまってしまうような状態であった。特に竹堂-梅柳はこれがひどかった。そのような泥んこ道が鉄道跡に特有なカーブと築堤や切り取りで緩やかな起伏の中を進んで行く(写真:中)と、楊花川の橋が見えてきた。橋は鉄道橋そのままに見える。近付いて行くとその橋は赤い塗装の鐵道時代の橋桁の上にコンクリートをかぶせて今も橋として使われていることがわかった。おまけにこの橋の幅が車1台がやっとほどしかないのに橋脚が11本もある長い橋なので途中に人が退避するスペースがあって、それが鉄道橋にそっくりであった(写真:下)。橋を渡ると築堤は左にカーブして旧梅柳駅構内へ続いていた。場内信号機の台座のコンクリートが残っていた所(写真23)から先は道路は広がってアスファルトで舗装がなされていた。旧駅の構内は梅柳の集落の中心なので整備されているのである(写真24)。その中に黄色の壁に緑の屋根の倉庫、つまり農協の倉庫であったと思われる建物が残っていた。梅柳には市内バスが通っていたが、旧線沿いのルートを通っているものではなく、3km程北を旧線と平行する国道から曲がってくるものである。
 
朝鮮京東鉄道 水麗線
利川−梅柳
午川−利川
梅柳−麗州
a090008.jpg
a090007.jpg
a090006.jpg
a090005.jpg
廃線跡・鉄道史跡
水麗線 略歴
朝鮮鉄道略図
京釡・京義・安奉経由
欧亜連絡
a090004.gif
a090003.jpg
a090002.gif
a090001.gif
a015001.gif