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廃線跡・鉄道史跡
京元線・咸鏡本線
朝鮮北部・浦塩経由
京元線概要
京元線は京釡線龍山を始めとして、京畿・江原・咸南三道を通過し半島中央部において、背梁山脈を横断、日本海側へ下り元山に至る延長2237粁7分の線路である。この線は大正3年8月16日の全通で工費1288万6千円を投じ、中部背梁山脈越の福渓・高山間において、最高603米まで上昇するため、急勾配(25/1000)線が蜿蜒と続き、17箇所14,150フィートの隧道を潜り、いわゆる三防幽峡の絶勝を通過してゆく。
 その間議政府駅付近の平野は各種農産物特に揚州栗の特産地、また連川駅辺りには著名な大豆が多く産出して鉄原駅からは名勝金剛山探勝の電鉄が分かれてゆく。その辺りの広い盆地は米産が多い。山間の寂村を越えて日本海斜面に下ると暫時林檎の産出地が続き、かくして元山港に着く。元山は朝鮮東海岸における古くから知られた良港で北鮮物資の中継所である。明太魯・麻布・大豆・綿花・紡績絲・食塩・雑貨等の集散多く、またこの辺一帯は永興湾要塞地帯である。
咸鏡線概要
咸鏡線は元山から咸鏡南北両道の海岸を縫って北進し、永興・咸興・北青・端川・城津・吉州・鏡城・羅南等の大小都邑を経て、遂に国境豆満江岸の会寧に至る延長617粁6の幹線で、朝鮮の新たな宝庫である北鮮開発の大使命をおび、かつ又京図線を通じて友邦満州国吉林経由・首都新京へ接続し、愈々重要性の加重せられた路線である。現在清津までを咸鏡線として、その以北会寧・上三峰方面を北鮮線と称え、京図線連絡の便宜及び、一方羅津港連絡に資し、いわゆる雄基・羅津の大新興都市出現となった。その雄基・羅津間には全鮮第一の雄羅大トンネルがある。
咸鏡線の全通は昭和3年9月1日、工費は実に9085万円の巨額を費やした。特に日新・城津間の如きは僅か12哩3分の距離に1035万円を投じて、漸く完成したと記録される。建造物は橋梁490餘その延長60,478フィート隧道は93箇所の多数に上り、その延長は125,403フィートに及ぶ。
しかし車窓の風光すこぶる明媚、沿線は古来僻遠の別天地で、地理的にも人文的にも半島の文化は西海岸に偏して、この方面はむなしく死蔵せらるるままであった所、咸鏡線開発医らに急激な発展を来したその沿線産業を展望すると、まず文川の大豆、川内里の小野田セメント、永興の黒鉛、文峰付近の永興炭田、咸興政治経済都市、赴戦江水力電気、興南の朝鮮窒素肥料大工場、退潮付近の明太漁業、新浦の漁業特に鰯油工場、利原鉄山、端川付近の農産(米・大豆等)と多数の鉱山、城津港、吉州の牛、朱乙温泉、生気嶺瀝青炭、羅南第19師団、清津港等新興はつらつとした風景である。
また、最近全通した恵山線は、吉州から分かれて鴨緑江上流恵山鎮に到達するもので、北鮮全く未開の奥地に入り、カラマツ、チョウセンマツ、シラベトウヒ、ナラ等の饒多豊富無尽と称される大森林は漸く開発せられることとなる。この線の南雪嶺隧道付近は海抜1522米の高地を通る。また、京城より京元・咸鏡・北鮮・京図各線経由(上三峰図們延吉廻り)新京間は1455粁5−安奉線経由より35粁6の遠隔となる。
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京図線
東海北部線
東海北部線
図們
開山屯
上三峰
南陽
清津
羅津
元山
京城
鉄原
襄陽
巨津
金剛山電鉄
北日本汽船
清津
元山
朝鮮鉄道略図
満州路線図
京釡・京義・安奉経由
福渓
欧亜連絡
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