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廃線跡・鉄道史跡
新站
京図線
満州主部と朝鮮北部の連絡
北鮮・浦塩航路
京元・咸鏡本線
延吉
新京
吉林
敦化
朝陽川
図們
北鮮線
朝鮮鉄道略図
満州路線図
新京より羅津・清津へ ジャパンツーリストビューロー 昭和12年発行より
朝鮮北部・浦塩経由
欧亜連絡
敦化は牡丹江上流盆地の中心都邑で、市街は周囲に土壁をめぐらし、人口およそ1万7千、背後地一帯の物資・木材・大豆・その他各種穀類、毛皮・薬草・葦・人参などの集散が多く間島地方と密接な中継市場関係を有っている。郊外は満州屈指の銃猟好適地で特に雉の獲物が多い。列車は牡丹江を渡る。しかし著名なこの川も、この辺りでは幅狭く何の他奇もない。これから暫くは坦々とした平原と湿地の交錯で徐々に哈爾巴嶺へ無化手上り寂寥な寒村2.3、漸くに着く哈爾巴嶺駅は吉林省と間島地方の自然的協会をなし人煙殆ど見られぬ高原駅で、付近は夏季鉱山植物群落の美観を望見される。この辺り湿気・冷水の関係で、農作物栽培は不適当のため、ただむなしき草原のままである。
 線路は下りとなり、程なく相次いで2つの隧道を潜り、いつしか間島省内に進んでまず明月溝駅に入る。ここはこの線開通以後急激に発展した小市街で、すでに間島に入ってから居住したものはわが朝鮮人が多く、満州内地とは言語その他すべてが趣を異にし、殆ど朝鮮北辺を旅行する如き気分となる。
 線路は布爾巴通河の峡谷に臨んで両岸の奇岩懸崖は美しい樹木を点綴し、わが耶馬渓的風景に似て車窓を飽かしめない列車は前後11回布爾巴通川鉄橋を渡り楡樹の隧道を抜けて老頭溝駅に着く。ここの市街は河に臨んで帯状の細長い形をなし、邦人気鋭の旅館もあり、住民は主として農業を営み、また多少造酒をなすものもある。
 この西方には聊か知られた老頭児溝炭鉱があり、埋蔵量2百万トン、最短は1日100トン位、炭質はあまり良好ではないという。またこの西北薬16粁に天宝山銅鉱がある。著名な銀銅鉱だが事業不振、今は縮小された。最近新満州重工業開発会社にて新発見の大油母頁岩(オイルシェール)層開発問題が間島工業界に一台活況を齎しつつあることも付記せねばならない。老頭児溝からいわゆる延吉平野の沃野を驀進する。次の銅仏寺付近は特産物っ子目・大豆・高粱等の生産年額8百万石を産する。ついで朝陽川駅に着く。
 
此処は朝開線すなわち天図鉄道の名で親しまれた間島龍井村経由わか北鮮上三峰へ連絡する路線の分岐点で(上三峰駅−朝鮮咸北鍾城郡南山面所在、北鮮図們線清津起点134粁2京城より元山・羅南経由884粁9、上三峰−開山屯間で豆満江国際鉄橋を渡り税関その他国境通過手続きを経る)貨物は南回り清津港、或いはわが咸鏡線向かうものとこのまま京図線すなわち羅津港へ向かうものとに分かれる。
 朝日川はもと寂寞とした寒村であったが、鉄道の重要地点となり、急速な発展をなし、製材・金鉱・炭坑・或いは農耕と樹評価の来訪はなはだ多く、新興気分で市街は活気が溢れる。
 列車は朝開線を見送り、なお耕野を進めば間島における商工業経済の核心地である延吉に着く。市街は満州式で、よく整い、商舗櫛比、なかなか殷賑で延吉平野特産物の集散が多い。
 線路は延吉の次駅辺りから再び山腹を這う渓谷線となり、水量漸く多く、川幅稍広い布爾巴通川の橋梁8箇所の隧道を明暗交々に潜る。最も長いのは延長530米、数えて4番目の小盤峰を穿つトンネルである。かくして漸く葦子溝付近で平地に出て、愈々終端図們駅に着く。
 図們はわが北鮮南陽と図們江を隔てて相対する国境新興都市、しかしこの国境は友邦両国の捨手地で、その和やかさは全くいわゆる「銃剣のきらめく緊張の国境風景」ではなく、僅かに税関検査が安東・大連と同様に行われる。
 こと地もともと名もなき小部落であったが、僅かのうちに驚異的躍進を遂げた新開地で、したがって料亭・旅館・飲食店など多く、生気溌剌としている。
 列車は進んで豆満江国際鉄橋(420米)を渡ると地はすでにわが皇領をなる。その羅津港はこの橋梁より南陽に出で後162粁5、咸鏡北道北辺を走り直通列車はおよそ3時間で着く。
京図線 1
朝陽川
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