正陽門站への鉄道路線は、1900年の義和団事件での八か国連合軍による北京城内占領下で、物資輸送のためにイギリス軍によって 関内外鉄路の永定門=正陽門間の延長工事によるものであった(1901年開通)。同じ時期、京漢鉄路の
盧溝橋=前門間の延長工事がフランス軍によって行われ、正陽門前で、京奉鉄路と京漢鉄路の始発駅が対峙することになった。イギリス軍の占領状態から返還されたのが1902年、1906年には正陽門駅新駅舎が完成し、1907年に奉天(皇姑屯)への路線がつながると京奉鉄路正陽門站と呼ばれ、北京を代表する鉄道駅となった。日中戦争期の日本による華北占領時代には華北交通(株)によって運営され、日本敗戦後は国民党政府、中華人民共和国政府と引き継がれ、1959年に現在の北京駅が完成するまで、北京駅として使われた。
鉄道駅としての役割を終えた後は、鉄道部内の用途に使われていたが、1965年地下鉄建設のために時計塔の北側が取り壊された。1990年代には時計台の南側部分が原型に模して復元され、”老車站商城”として活用され、2008年からは鉄道博物館として使用されている。