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太平洋横断航空路(2)
ボーイング B377 ストラトクルーザー  PAA パンフレットより
ロッキード コンステレーション
ダグラス DC6
北米大陸
太平洋横断航空路(1) 
太平洋横断航空路(3) 
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ストラトクルーザーの成功のあとボーイングでは新型機開発の投資を嫌い、ダグラスがDC-7、ロッキードがスパーコニーへの発展を遂げるなか、これ以降4発レシプロ機争いに加わることなくボーイング707ジェット機の登場まで静かにその争いを見守ることとなる。
 
 
 
レシプロ4発プロペラ機の発達
戦後のパンナムの太平洋横断線は、B314をダグラスDC-4に置き換えて再開された。客席30席の限定運用、巡航速度320km/h、航続距離3360kmであった。DC-4はまたの名をスカイマスター(Skymaster)と呼ばれ、広く普及したが、ロッキードL-049コンステレーション(Constellation、コニー)の登場はダグラス・ロッキードのレシプロ争いの始まりであった。コニーは与圧客室を持ち、客席54-80、巡航速度460km/h、航続距離3100kmの強者で、これに対抗するためダグラスは与圧客席を持つDC-6(客席56-80、巡航速度480km、航続距離4500km)を投入した。その後、コニーはL-649,L-749の長距離型に発展して、ついに巡航速度は560km/h、航続距離は4960kmに達した。
ボーイングでもダグラスDC-4に対抗して、与圧客席を持つボーイング307(ストラト・ナイナー)を製造してパンナム向け1号機が1938年初飛行した。しかし、第二次世界大戦への突入と大型陸上機発着のための十分な滑走路設備の未整備のため、南米線で運用されたものの太平洋・大西洋横断線では活用されず、同時期製造のB314大型飛行挺がこれらの路線に就航した。戦後になって、B-29爆撃機の胴体の上に一回り太い胴体を継ぎ足した逆洋梨型断面の空軍用輸送機XC97(B367)の商業用転用策として、ボーイング377(ストラトクルーザー、Stratocruiser)を製造した。1949年、パンナムはこれを太平洋横断線に投入して、DC-4時代に33時間以上要した東京-サンフランシスコ間(ホノルル・ミッドウェー経由)を25.5時間に短縮した。これも与圧客室の恩恵による8000m高度の飛行によるものであった。室内は二階建てとなっており、二階部分の主客席から螺旋階段を降りると、ラウンジがありくつろぎながらの空の旅を満喫することができた。まさに「空飛ぶホテル」のたとえにふさわしい豪華航空機であった。機体外観は、パンナムとBOACが丸形窓であったのに対して、ノースウエストとユナイテッドは角形窓だった。
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