明治15年(1882)には、大津から琵琶湖連絡を介しての対岸、長浜から金ヶ崎(現敦賀港)までの路線のうち柳ヶ瀬隧道(明治17年開通)を除く区間が開業、続いて、明治16年(1883)には長浜−関ヶ原間、明治17年(1884)には大垣まで開業して、揖斐川、日本海(敦賀)、琵琶湖、太平洋(神戸)を結ぶ鉄道連絡網が完成している。
東海道線は 明治22年4月16日、静岡=浜松間の開通により、琵琶湖水運を大湖汽船会社を介しての連絡ではあったが、新橋=長浜=大津=神戸間が全通した。同年7月1日には、米原経由の湖東線の開通により、長浜は東海道線のルートからは外れ、大湖汽船での連絡は終了した。
長浜−深谷間は、貨物線となり明治29(1899)年までは貨物のみ運転されていた。明治32(1901)年、柏原経由の現在線が開通し、深谷廻りの線路は廃止された。