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北陸旧線(山中越え)
欧亜連絡
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黒田清隆による「功加干時」と「徳垂後裔」の額が山中隧道に掲げられていた。長浜資料館保存
上:(北口)
中:両坑門には黒田清隆による「永世無窮」と「與国咸休」の額が掲げられていた。長浜資料館保存
 
葉原信号所付近の大カーブ築堤
葉原隧道(7号) 974.0b
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敦賀から来た列車が最初にくぐるトンネル樫曲隧道(5号)
1893(明治26)年、敦賀を起点として富山までの北陸線建設工事が始まり、3年の歳月をかけて敦賀・福井間38哩40鎖が開通したのが1896(明治29)年7月15日であった。現在は敦賀を出て北陸トンネルを越えて十数分で着いてしまう今庄との間の旧線上にあったのが山中越えで、11のトンネルと25パーミルが連続する難所中の難所であった。この区間が開通した1896(明治29)から北陸トンネルが開通する1962(昭和37)年6月10日までの66年間を鉄道として、そして、その後の42年間を道路として物流を支えているルートである。
敦賀
深山(信)
新保
葉原(信)
杉津
大桐
山中(信)
今庄
5号(樫曲)
6号
7号(葉原)
8号
9号
10号
11号
12号
15号(山中)
13号
14号
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右の平坦地がホームのあったところ、左は敦賀から上ってくる本線跡
敦賀駅と敦賀港線
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山中信号所
杉津駅
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深山信号所
新保駅
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葉原信号所
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長浜
柳ヶ瀬越え
敦賀港と日満欧亜連絡
朝鮮北部・浦塩経由
山中隧道(15号) 北口 延長1194.5b
左はスイッチバック式山中信号所の引き上げ線、右が本線(敦賀方)
大桐駅 2004-10
上り線ホームが残されている。
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