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日満欧亜連絡列車
敦賀港行き
欧亜連絡
朝鮮北部・浦塩経由
敦賀
長浜
日本の玄関
北鮮・浦塩航路
SL敦賀きらめき号
敦賀駅と敦賀港線
柳ヶ瀬越え
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(復活)欧亜連絡列車(品川駅) 7/17,1999
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<図説>夜行列車・ブルートレイン 学研 2005年 より
左:欧亜連絡船車連帯切符 北日本汽船25年史 (昭和14年刊)より
右:連絡時刻表 北日本 (昭和13年) 北日本汽船刊 より
敦賀港直通列車
明治34(1901)年のシベリア鉄道 ウラジオストク-ペテルブルグ間が開通し、明治35(1902)年に敦賀−ウラジオストック間の定期航路が大家汽船によって開設された。明治43(1910)年4月1日には 日満連絡運輸、明治44年3月1日からは 日満露連絡運輸 が開始され、明治45(1912)年からは 新橋-敦賀 間に直通急行列車が運転されるようになった。ロシア革命期のシベリア派兵の撤兵(1922年)以降、ソビエトとの関係悪化のために一時休止されたが、1927年 日ソ通商条約の締結により、シベリア鉄道経由での欧亜連絡が再開され、敦賀港直通列車も復活した。昭和7(1932)年 満州国の建国が宣言されると、朝鮮北部を経由して満州奥地への連絡が盛んになり、敦賀港行き直通列車は 朝鮮満州連絡列車 の意味合いが強くなってきた。昭和16(1941)年には第二次世界大戦のためにシベリア横断急行の運転中止され、敦賀港発着列車も米原行きだけとなり、戦争とともに消えていった。
1999年、団体ツアー列車であったが、品川−敦賀港 間の直通列車が運転された。
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