済南方面
天津海港(塘沽)
天津河港(白河)
天津港
天津は列強の租界の街として発展し、その中に流れる白河の河港が天津港で 1860年の北京条約によって開港された。1930年代の貿易額では、上海に次いで第2位で華北第一の港町であった。
しかし、白河の川底に溜まる土砂の量は年々増え続け、次第に白河を遡行する船は少なくなってきた。代わって、白河の河口に位置する、塘沽が天津(海)港ととして発展するようななった。
天津発着の航路は、大阪商船及び日本(近海)郵船の 神戸−天津間、大連汽船の 上海−天津間 が主な航路であったが、いずれも天津河港まで白河を遡行できるように浅喫水の船を仕立てていたが、昭和初期から、白河遡行を中止して塘沽が終着となった。塘沽からは直通列車が北京に連絡していた。
天津鳥瞰図 昭和13年 常光
白河の天津港 (絵葉書)
解放橋(旧萬国橋) 2002年10月
萬国橋を越える日本船 (絵葉書)
天津海港 (絵葉書)