太平洋に出現した新会社ダラー・ライン汽船は太平洋航路からグレース・ラインの経営になったPMを追い出し、1925年北太平洋航路のアメリカ船はすべてダラー・ラインとなった。米国標準船の502型を16隻を投入して、ホノルル・横浜・神戸・上海・香港・マニラ・シンガポール・ペナン・コロンボ・スエズ・ポートサイド・アレクサンドリア・ナポリ・ジェノア・マルセイユ・ボストン・ニューヨーク・ハバナ・バルボア・ロサンゼルスを回る世界一周航路を開設し、北太平洋では、シアトル-極東-サンフランシスコを結ぶ馬蹄形航路を、1925年傘下に入ったアメリカンメール社との共同で米国標準線535型を投入して開始した。1931年にはプレジデント・フーヴァーとプレジデント・クーリッジの2隻の2万1千トンの新造船を投入したが、同年馬蹄形航路は不採算で廃止、1937年新造船P/フーヴァーは座礁して去り、結局1938年、ダラーラインは多大な負債をだして、新会社アメリカン・プレジデント・ラインがこれを引き継いだ。
日本では東洋汽船が日本郵船に吸収されて、1926年からは花形サンフランシスコ航路は日本郵船が運航することとなり、17000トン級の「浅間丸」、「龍田丸」、「秩父丸」の3隻を1929年から1930年に就航させ、船腹の刷新を計った。1940年欧州航路用として建造された「NYK3姉妹」の「新田丸」、「八幡丸」は欧州の不穏な情勢のため、北太平洋航路に入り、サンフランシスコを結んだ。末っ子の「春日丸」は空母として竣工した。
日本郵船の桑港航路の船はサンフランシスコでは、一番街とブレナン街(1st &
Brannan St.)の付根の埠頭に碇泊した。