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大井川鉄道
機関車、電車のスタフ扱い
 
 
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上り SL臨時列車(1004列車) と下り23列車の交換、後着の電車からホーム直前で通過渡しが行われる。(2007年5月5日 撮影=2写真からパノラマ作成)
1004列車(臨時SL)の回送列車は上り側のヤードに停車し、スタフが駅長に渡される。直後の 102列車(定期SL) への スタフは、先頭機関車が ホーム下り寄りを通過時に渡される。 (2007年5月5月撮影)
102列車(定期SL)の回送列車は下り側ヤードに停車し、、スタフが駅長に渡される。直後の 26列車 には停車中にホームでスタフが渡される。 (2007年5月5月撮影)
郷愁編(通票閉塞)
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五和=横岡間のスタフ (2004年3月撮影)
金谷=新金谷
 1985年春のダイヤ改正で、国鉄からの乗り入れ列車がなくなり、金谷=新金谷間は、7月26日に タブレット閉塞から スタフ閉塞 に変わっている。新金谷=金谷間を単純に往復する スタフ ではあるが、蒸気機関車、電気機関車、電車での扱いがみられた。編成の長い SL列車では、先頭の機関車がホームを外れるため、通過時の授受も行われていた。2011年10月からSL列車が新金谷発着となり、これも無くなってしまった。
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新金谷駅 夕方の光景(2007年8月4日 撮影)
新金谷駅 夕方の光景(2007年8月5日 撮影)
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金谷からの下りSL急行は、新金谷でのスタフホ下しはホーム中央付近を通過中。 2010年2月14日
大井川鉄道の沿革と横岡駅
 大井川鉄道が開通したのは 昭和2(1927)年6月10日 金谷=横岡(6.3km) であった。 昭和4年12月1日、金谷基点 5.8km 地点に分岐点を設け、家山(17.1km)まで延伸、最初の終点は 横岡支線(0.5km) となった。地名(昭和5年7月16日)、塩郷(昭和5年9月23日)、下泉(昭和6年2月T日)、青部(昭和6年4月12日)、 と順次延伸して、千頭までの全線は 昭和6(1931)年12月1日 に開通した。本線の直通列車の一部は分岐点からの折り返し方式で 横岡支線 に乗り入れていたが、廃止の時期は定かではない。(昭和12年10月現在の停車場一覧に載っているのでそれ以降と思われる。) 
戦後は 昭和24(1949)年11月18日に電化され、昭和51年7月9日に SL運転 が再開された。
2003年8月17日、神尾駅の金谷よりで土砂崩れが発生し、福用=千頭間での折返し運転となった。9月25日からは、金谷=横岡(仮)間の折返し運転が開始され、2つの連続しない区間での運転は 2004年3月19日の全線復旧まで続いた。五和=横岡(仮)間は、スタフ閉塞で運転されていた。横岡(仮)駅はまたしても短命に終わった。
旧近鉄名古屋線の特急車であった 421+571 スタフを受け取って釣り掛けを響かせて金谷へ向かっていった。 2004年3月6日
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