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日華連絡船連絡列車
長崎港行き
名門普通列車 ながさき
長崎と上海を結ぶ 日華連絡船 が日本郵船によって大正12年開設された。長崎本線は、明治31年に長崎(浦上)まで開通していたが、当時は早岐・大村回りで、まだまだ不便であった。門司から長崎まで、夜行と昼行の列車が設定され、明治45(1912)年の新橋-下関間の特急列車(1列車)設定のときには、それに連絡するように昼行列車、また直通急行(5列車)に連絡する夜行列車が設定されている。昭和5年には長崎港駅が開設され、日華連絡船 の発着岸壁まで列車が乗り入れるようになった。
ながさき B寝台券
筆者が中学生のとき自分の小遣いで乗った最初の寝台列車である。
ながさき の鉄郵印
昭和55年6月4日 下り1421列車 「ながさき」 鳥栖-長崎間で押されたもの。
日華連絡船との連絡列車と長崎行き夜行列車 運転時刻
長崎港岸壁の案内 連絡列車の時刻も載っている
昭和5年 上海航路案内 日本郵船
欧亜連絡
日本の玄関
国際連絡都市 
下関・門司・長崎
満州・中国経由
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昭和9年12月には、丹那トンネル・岩徳線、有明線(肥前鹿島回りの現在の長崎本線)が開通して、東京からの到達時間も早くなった。昭和17年には関門トンネルが開通して、東京からの特急富士が長崎乗り入れを果たした。上り東京行きは長崎港発、下りは富士は長崎泊まり、門司港からの夜行列車が長崎港で上海行きの連絡船に連絡していた。昭和18年には特急富士は博多止まりとなり、戦争の激化とともに 日華連絡船 も休止となった。

戦後、上海へのルートは飛行機に譲っても、長崎本線には 80年間 も続いた夜行列車があった。東京−長崎間が新幹線と特急「かもめ」を乗り継いで9時間30分という時代に、8時間40分もかけて、80年前の運転時刻そのままに長崎本線旧ルートを早岐経由で 門司港-長崎・佐世保 を結んだ 老舗名門普通列車 「ながさき」 がそれであった。荷物車、郵便車各1両、B寝台車、普通車6両(そのうち2両が佐世保-門司港)を連結して毎日運転していた。そんな、歴史的列車も1984(昭和59)年1月31日、ついに廃止されてしまった。優等普通列車「ながさき」に最後まで使用されていた3両のB寝台車のうちの1両(オハネ12-29 )が横川の鉄道文化村に保存されている。
門司港
長崎港
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