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Continent via Harwich
ハリッジ経由大陸へ
LNER London
London
Hoek van Holland
ロンドンからフランスへのルート
ロンドンからベルギー・オランダへ
欧州大陸
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 イースタン・カウンティーズ鉄道は、1862年、周辺の鉄道の合併して、グレートイースタン鉄道(Great Eastern Railway) となり、ハリッジへの支線を運行するようになると、オランダとの連絡船運行の興味を示すようになった。1865年には、外輪汽船 Avalon (670総トン)を建造して、ハリッジ - ロッテルダム間の連絡船運行を開始した。1883年には、英国側の港を従来の ハリッジ市街部から、パークストン埠頭に変更し、1893年にはオランダ側の港を フーク・ファン・ホーラントに変更して、後に続く航路が完成した。1923年には、鉄道会社の合併により、ロンドン・ノースイースタン鉄道(London & North Eastern Railway) となり、1926年からは、ブリシンゲン(Vllisingen) - クイーンバラ(Queenborough)間連絡船航路が、英国側の港を ハーリッジ に変更している。(Vllisingen - Harwich の連絡船は1961年まで運行されている。)
現在はステナ(Stena)で、ハリッジ - フーク・ファン・ホラント間連絡船が運航を続けている。
 ロンドンのリバプール駅とハリッジ・パークストン埠頭( Harwich Parkeston Quay) との間には、昼と夜2回、ボートとレインが運行されていた。食堂車とプルマンカーを連結した豪華な編成であった。夜にロンドンを発つ列車は、連絡船夜行、翌朝、フーク・ファン・ホーラントからスイス方面へは、ドイツが誇る最も豪華な列車「ラインゴルト」が連絡していた。
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Rheingold
1935年 ポスター
左: 1930年 ポスター 
右: 1936年 ブラッドショー時刻表より
下: ハリッジ - ゼブリュージュ 間の車両航送ポスター
フーク・ファン・ホーラントへ向かう連絡船が発着する パークストン埠頭の先、ハリッジ市街には、貨物列車専用ではあったが、車両航送施設が設けられ、ベルギーのゼーブリュージュ(Zeebrugge) との間に車両航送船が就航していた。ユーロトンネルの開通を待たず、1987年に廃止になっている。
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ハリッジ車両航送のポスター
2011年の衛星写真では、まだ可動橋が残っている。
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