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ラインゴルト
Rheingold
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Luxury Trains, by Geore Behrend
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H. Holland
Cologne
Bale
Millan
Amsterdam
ロンドンからベルギー・オランダへ
欧州大陸

 ロンドン連絡の フーク・ファン・ホーラント発着の車両は、ユトレヒト(Utrecht) で、アムステルダム発着の車両と連結されて、エマーリッヒ(Emmerrich)でドイツに入る。ケルンからはライン川左岸を走り、マインツからは、第一次大戦前の主経路であるライン川左岸のストラスブール経由の路線から離れ、右岸に転じ、カールスルーヘ(Karsruhe) を経由して、バーゼル(Basel)SBB駅に到着する。1939年5月15日には、ゴッタルド隧道を超えてミラノまで延長されているが、その年の8月22日には、欧州大戦前夜の国際関係悪化により、ドイツの長距離急行はすべて運休となってしまった。
1928年6月15日には、国際寝台車会社(ワゴンリ)が、アムステルダム-バーゼル間で、プルマン専用列車 エーデルワイス(Ederwise) の運行を開始しており、第二次大戦後のTEEの時代まで続く、ライバル列車となっている。
第二次大戦後、フーク・ファン・ホラント-バーゼル間の急行列車にラインゴルトの名前が復活するのが 1951年、さらに1953年からは、同区間にローレライ急行も加わった。1962年には新型客車の導入を経て、1965年からは TEE(トランス・ヨーロッパ・エクスプレス)の仲間入りを果たした。1976年からは200km/h の高速運転に対応するため、ドーム展望車など特徴のある車両の連結がなくなり、2等車も連結する特急列車であるICネットワークの拡大により、1987年5月30日の運転を以って廃止されている。
1939年 Thomas Cook 時刻表より
London - Harwich
 ラインゴルト (Rheingold) とはライン川に沈む黄金で、これで指輪を作ると世界の富と権力を独占できるというという伝説がある。この名前を冠した急行列車が、1928年5月15日、フーク・ファン・ホーランド(Hoek van Holland) - バーゼル(Basel) 間で運行を開始した。第一次大戦中に、国際寝台車会社 (ワゴンリ)の運転経路を接収して誕生した 中央ヨーロッパ寝台車食堂車会社(ミトローパ, MITROPA) の運行による、豪華列車であった。
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