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Ludwigshafen
ルートビヒスハーフェン
ライン左岸の南北幹線 
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<ルートビッヒスハーフェン中央駅>
 ノイシュタット(Neustadt)への鉄道が開通したのが、1847年6月、この時に、ルートビッヒスハーフェーンの街のライン川に面した場所に駅が設置され、時計塔付きの駅舎が作られた。ライン川を介して対岸のマンハイムと連絡船で結ばれていた。、1853年のマインツへの路線が完成した時には、駅舎の改良が行われている。1867年2月には、マンハイム(Mannheim)への橋梁が完成。
第二次大戦で損傷をうけた駅舎は 1954年にシンプルなかたちで建て替えられ、1959年にはマインツ方面とマンハイム方面を直接結ぶ連絡線が完成し、1969年には行き止まり式だった 中央駅自体もこの連絡線の三角地帯に移動した。
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<マインツ=ストラスブール間のライン左岸幹線>
 マインツからライン川の左岸沿いに敷設された鉄道路線は、1853年3月に、マインツ(Mainz)=ウォームス(Worms) 間で開業し、1853年11月に ルートビヒスハーフェン(Ludwigshafen)まで開通している。
ルートビッヒスハフェンからは、パラティン・ルートビッヒ鉄道 (Pfalzische Ludwigsbahn) が、ノイシュタット(Neustadt Neustadt an der Weinstrasse) までを、1847年、フランス国境の サーブルッケン(Saabrüken) へ全線を1879年に開通させている。
途中のノイシュタットからはパラティン・マキシミリアン鉄道 (pfalzische Maximiliansbahn)が、1855年にノイシュタット=ランダウ(Landau)間の開通を皮切りに、1865年には、カールスルーへ(Karlsruhe) への路線を開通させ、1871年には、途中のヴィンデン(Winden) から、ドイツ・フランス国境の ヴィッセンブール(Wissenbourg) までの路線を開通させた。
ヴィッセンバーグからは、1871年の普仏戦争の結果、割譲されたアルザス・ロレーヌ地方とともに、フランス東部鉄道の路線が、戦後誕生した統一ドイツの直営鉄道に編入され、これらをつなぐライン左岸ルートはスイス方面への幹線として活用されるようになった。しかし、その後の第一次大戦では、この地方は再びフランに戻され、ライン左岸ルートは、一気に主要幹線としての勢いを失っていった。
Strasbourg
Mainz
<ヴォルムス中央駅>
 マインツからの ルートビッヒ鉄道 (Hessische Ludwigsbahn) は、1852年に最初の駅を開業した。1871年の増築を経て、1904年には、現在地に移転し、3代目の駅舎が完成した。
Mannheim
欧州大陸
ロンドンからドイツへ
ベルリンから欧州各地へ
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