Moingona,IA
Kate Shelley Bridge
鉄道事故を救った少女 ケイト・シェリー
Honey Creek Bridge
シカゴからオマハへ向かう シカゴ・ノースウェスタン鉄道 の列車が ブーンの町を過ぎるとデモイン川を渡る。 ケイト・シェリー橋梁 (Kate Shlley Bridge) と名づけられた橋は 1901年に開通した複線の高脚鉄橋である。この区間が大陸横断鉄道の一部として 1867年 オマハまで開通したときの線路は、ブーンから南下して川面まで急勾配を下がり、 モインゴナ(Moingona,IA) 付近でデモイン川を渡って再び、元の高度まで勾配を上るルートで、モインゴナ-ブーン間には補助機関車の連結がなされていた。1881年7月6日の嵐の日の深夜23時頃、デモイン川の隣の ハニークリーク(Honey Creek)の橋が流された。付近に住んでいた 15歳の少女 ケイト・シェリー (Kate Shlley) は、3年前に鉄道員の父を亡くしていたが、鉄道には愛着があった。列車の時刻をよく覚えていた彼女は、直後に通過する深夜急行を止めなければならないと悟った。
ケイト・シェリー記念館 モインゴナ (2000年撮影)
廃線となったデモイン川橋梁 (2000年撮影)
1901年開通のケイト・シェリー橋梁 (2000年撮影)
真っ暗闇の嵐の中、モインゴナ駅まで橋の流失を知らせに行くことを決意した。折りしも、嵐の線路への影響を調べるための臨時列車が流された橋に気づかず川に突っ込み、機関士と制動士が遭難した。ケイトは闇の中この惨劇を目の当たりにし、モインゴナ駅で救助を求めるために一刻を急いで嵐の闇の中を駅へ向かった。深夜急行は遅れのため辛うじて難を逃れたが、臨時列車の機関士たちは救助を求めていた。補助の機関車として、駅に待機していた 230番機関車は、流された機関士たちを救助するために現場へ向かった、夜明けを向かえる頃、機関士たちは救助され、ケイトは鉄道事故と遭難機関士を救った英雄として全米に知れ渡ることとなった。後に、ケイトは 1903年 シカゴ・ノースウェスタン鉄道に就職し、病気で退職する 1911年までモインゴナ駅に勤務して鉄道の安全を守りぬいた。新しい橋梁には、英雄"ケイト・シェリー"の名が付けられて、彼女の鉄道安全を守る魂は現在にまで受け継がれている。