大志田駅正面跡↑
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山田線
 
 
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山田線は1923(大正12)年10月、盛岡=上米内間の開通にはじまり、1928(昭和3)年には区界までが開通したが、ここは東北地方で最難関工事といわれた区間で、 25.7kmを21の橋梁と19の隧道を使って高低差543メートルを上るものであった。区界駅をサミットとして、宮古へ向けては下り坂で、平津戸付近での連続する急勾配区間を抜けて陸中川井へは1933(昭和8)年11月に開通した。更に宮古まで、1934(昭和9)年11月、釜石まで1939(昭和14)年9月に全線開通して、岩手県北部の海岸と東北本線を結ぶ唯一の鉄道として鉱産物、水産物の輸送で大きな貢献をしてきた。
1946(昭和21)年のアイオン台風では平津戸=蟇目間で災害を受け、不通区間の復旧に8年を要した。この間、釜石線の足ヶ瀬=陸中大橋間の改良線の建設が急加速、1950年に完成して、貨物輸送主流は釜石線に移っていった。
大志田駅(上)、浅岸駅(下)
 現在では、一日平均利用客数が1人未満の駅で、冬季は全列車が通過する。1982年11月、無人化、スイッチバックが廃止された。(2014年11月訪問)
日本鉄道名所2 小学館 1986 より
大志田駅 スイッチバック跡↑
浅岸駅旅客ホーム跡↓
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連査閉塞
盛岡=宮古間では、連査閉塞式が使われ、両駅長が打ち合わせをして閉塞を行っている。場内信号機付近にある短小軌道回路区間を列車が通ると閉塞テコが鎖錠される。タブレット不要の非自動閉塞方式で、現在は山田線に残るのみとなってしまった。
2014年10月訪問
昭和18年時刻表(上) :海岸連絡ルートとして列車回数が多かった。
昭和23年時刻表 : 平戸津=茂市間が不通の頃
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10:50 3639D 動画
10:20 3648D 動画
 現在のホーム↓
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鉄道ピクトリアル 2007-6 より
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郷愁編(通票閉塞)
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