a076009.gif
a002012.gif
a002012.gif
天津航路
門司港
天津
近海郵船 
東亜海運
天津
大阪商船 
神戸
門司
天津航路は近海郵船と大阪商船で運航されていた。昭和14(1939)年から両社の船舶が現物出資されて東亜海運が設立されて同社が運営するようになった。
 それ以前は、
日本郵船は、明治32年、神戸−天津線を開設して、大正11(1922)年には日本郵船の近海航路が独立して近海郵船となり、神戸−天津線も近海郵船の運航となった。大正13(1924)年、南嶺丸(2086総d)と北嶺丸(2085総d)を、昭和2(1927)年には景山丸(2318総d)を就航させ、昭和8(1932)年には1907年建造の古い筑前丸(2448総d)を日本郵船から購入してこの路線に就航させた。東亜海運への統合にあわせて、南嶺丸、北嶺丸は客室を2層に増築して総トン数はそれぞれともに 2407dになった。

大阪商船は明治32年、「舞子丸」を第1船として、大阪−天津線を開設し、神戸・門司・天津・牛荘に寄航した。天津は白河を遡行して到着するので、大正4(1915)年にはこの航路用に浅喫水の湖南丸(2627総d)を投入、大正10(1921)年には新造船 河南丸(2627総d)、長沙丸(2541総d)を加えて使用船4隻、月7回の運航になり、昭和2(1927)年からは、ディーゼル新造船、長城丸2594、長安丸2612、長江丸2613の3隻、これら白河遡行可能な最大級の高速船で好評を博した。
a076008.jpg
近海郵船から来た 南嶺丸 戦前絵葉書
大阪商船から来た 長江丸 戦前絵葉書
大阪商船 長安丸、長江丸、長城丸の3姉妹はラウンジに特徴があった。
 戦前絵葉書
長安丸(中華風)
長江丸(欧州風)
長城丸(和風)
a076007.jpg
a076006.jpg
a076005.jpg
a076004.jpg
a076003.jpg
満州・中国経由
欧亜連絡
a076002.gif
a076001.gif
a015001.gif