大阪商船では、明治35年に隅田川丸(749総d)から始まった大阪元山線を鉄道開通と連動して順に延長し、昭和8年の吉林−会寧間の鉄道開通にあわせて、阪神清津間の北鮮急航航路に発展した。使用船は
天津航路から移ってきた 貴州丸(2569総d, 1920年建造)、武昌丸(2567総d, 1921年建造) の2隻で週1回航海、大阪・神戸・門司・清津に寄航した。昭和10年には
慶運丸、河南丸(2567総d, 1921年建造) を加えて増便し、さらに同年11月にはかねてより満鉄が建設していた羅津港が完成し新造船
洛東丸(2962総d,
1935年建造)、
大同丸(2962総d, 1935年建造)、
龍興丸(2962総d, 1936年建造)、
永興丸(3026総d, 1938年建造)、
慶興丸(2929総d, 1938年建造)、
咸興丸(2929総d,
1938年建造)
を順次投入していった。しかし、日中戦争の始まりによって船舶が軍の使用船として徴用され、昭和16年8月にはこの航路は休航することになった。