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慶北線 安東ー醴泉間
鳴洞ー豊山
安東−鳴洞
豊山−虎鳴
慶北線 
廃線跡・鉄道史跡
朝鮮鉄道略図
京釡・京義・安奉経由
欧亜連絡
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<鳴洞 - 豊山間> 1990.04.29
 鳴洞駅の構内が終わると思われる辺りに、小川を渡る橋台が残っていた。これは単線用のものであったから(写真1)、すでにこの位置は駅構内ではなかったことがわかった。この橋台から先はもう完全に耕地となっていた。そしてこの耕地の中に2箇所の小川用の橋台(写真2,3)と1箇所のコンクリート橋を確認しながら歩くと、国道は自然の地表面に沿って、小高い丘越えをする、この区間はわずか300m程であるので、旧線は切り取りの中をフラットに進んでいた。この切り取りが国道のすぐ左下に残っていた(写真4)。国道はこの区間を過ぎてもなお同程度の勾配で下っていて、いつのまにか旧線は国道よりも高い位置を通っている。つまり、比高が7、8mもある築堤となっている(写真5)。築堤が1km程続くと旧線は左へカーブして国道とは離 れて行く。しかしこの辺りから韓國政府機関の施設があり、しばらくは歩くことが出来ない。国道はすぐに洛東江の支流の川を渡ることになるが、旧線は国道と反対の河岸に位置していた(写真6)。
この区間は下枝山が川に接近するまでの1km程は築堤として残っているが、その路面に相当する部分は耕地となっていた。そして下枝山が川に接近している辺りはその斜面崩壊が激しく、人間がやっと通れるくらいの獣道のような現状であった。少しして、下枝山の西側に回り込むようにカーブ(写真7)すると、旧線は再びそれらしい道となり、民家も点在する中をしばらくは川に沿って続いていた。途中、小川の橋台が1箇所確認でき、その先大きく右にカーブして先程の川を渡る橋へと続いていた。この橋は9本の円形橋脚と橋台からなっており、橋桁は幅3m程の人道橋に架け変えられていた(写真8)。この橋を渡るとその 先に小道をオーバークロスする橋台が残っており(写真9)、ここから旧豊山駅に向かって築堤が下っていたことがわかる。500m程先に豊山駅があったはずであるが、この付近は町の市場の中心地になっているらしく、また休日のちょうど昼時にぶつかったために人が多くて駅の跡の詳しい調査は出来なかった。
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