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光州線 廃止区間
長山−潭陽間
望月−長山
潭陽−金果
半島南部の交通
朝鮮鉄道略図
欧亜連絡
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長山 − 潭陽 1990.8.13 1993.8.11
 旧長山駅を過ぎると1km程国道と平行して築堤が残っていた。そして築堤はコンクリートで出来た短い橋と長い橋を渡っていた。その内長いほうの橋には途中2ケ所の退避箇所がついていたことから明らかに鉄道時代からの橋で在ることがわかった。この橋を渡った旧線は曲ってきた国道と交差して真っすぐに2.5km程の直線区間へと続いていた。直線区間は鳳山面の中心地、新鶴里の手前で道路と交差する。この地点から旧馬項駅の先までは舗装された立派な道路に姿を変えていた。そして新鶴里を過ぎた所に旧馬項駅が在った。その位置は道路が脹らんでおり容易にその場所が確認できた。しかしそれ以外に駅の跡を感じさせる跡形は見付けられなかった。旧馬項駅を過ぎてもその立派な道路は続いていた。そして自然なカーブで左に曲がり橋を渡って行くのであった。いかにも鉄道跡らしい光景であった。しかしわたしはこれにだまされたのである。
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 つまりそちらのほうが旧線であったわけである。わたしが歩いてきた新設された道路はここから1km程先で再び旧線と合流して潭陽へ向かっているはずである。ここから潭陽駅まではそう遠くはない。しかしこの日は都合でここで引き返すことにした。そしてその先の潭陽駅の状況を知ることになったのはその後3年が経ってからとなった。はたして潭陽駅はその跡がどのようになっているのであろうか。そう考えながら、潭陽の町を訪れたのだがなかなか駅の位置が特定できなかった。親切に捜し物はなんですかと声を掛けてくれた地元の人の案内でたどりついたのが畑のなかに残っていた潭陽駅の跡地であった。そこにはちゃんとホームが1面残されていた。ホームのうえにも作物がびっしり植えられていたが、縁石はきちんと残っていた。そのことに感動していると、案内してくれた地元の人はかつてはここまで汽車が通い、この先にも開通するはずであった鉄道の路盤が完成していることを話してくれた。もっと沢山のことを教えてもらいたかったが、わたしの語学力の未熟さからそれは成らなかった。
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確かに旧線は左に曲って橋を渡り潭陽へと向かっていたのであるが、その立派な道路のカーブの先の部分は旧線から分離して新設されたものであった。それに気づいたのは橋を渡っている時だった。右側の100m程先に橋があってそれが今までのようなコンクリートで出来たものであった。
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光州線廃止区間
慶全支線未成区間
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廃線跡・鉄道史跡
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