金果のその駅の跡を過ぎると、国道から300mくらい離れていた未開業線路盤の築堤が国道に近付いてくる。その途中には小さな川を渡る橋の跡があった。その築堤が国道に接近して来て、また離れていく(写真1)。その先は小さな丘を越えるために国道は勾配のきつい道となるが、鉄道の方は殆ど同じ高さで進んで小さなトンネルを掘ってやり過ごしている。トンネルへの進入路は付近の集落への生活道路として利用されていたが、トンネル直前からは滅多に人の利用しない泥道となっておりその歩きづらさにはまいってしまった。トンネルを過ぎる(写真2)と国道の旧ルートがこの未開業線の路盤の上を跨いでいたのでその跨線橋があった(写真3)。でも、結局鉄道は来なかった。今、道路は路盤と平面交差し反対側に抜けている。その跨線橋の上は今でもなんとか通行できるように見えた。国道と交差した跡の路盤は88オリンピック高速道路の脇にぴったり寄り添って進んでいく。高速道路の建設の時になぜその下に埋めてしまわなかったのか、その答が鉄道の復活予定であることに期待したいところである。日本では東海道線京都−大津の付け替えでは旧線跡は名神高速道路の下に埋まってしまったし、北陸線の柳ケ瀬トンネル付近でも北陸自動車道に埋まってしまっている。
高速道路にぴったり付いて進んでいた路盤の跡は淳昌の集落が近付くと高速道路と離れて洞山の北側を回り込んで(写真4)淳昌の集落のすぐ南側の鏡川の対岸を進む。そしてその水田のなかにぽつんと石で縁取られた土の台があった(写真5,6)。淳昌駅のホームに成る予定だったものである。淳昌の町からは少し離れているけど中心地からは歩いて約15分で着く距離だろう。