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北京
満州・中国経由
正陽門駅
北京は、京奉、京漢、京綏三鉄路が連絡するところであって、前二鉄路の終点駅は北京内城の南面中央にある正陽門外において東西約百歩を隔て相対していた。京綏鉄路は京奉鉄路豊台駅を起点として城壁の西側を走って京漢鉄路と交差して西直門駅で北京正陽門駅からの循環線を合して八達嶺を越えて蒙古国境近くまで進んでいく。京奉鉄路は、北京と満州を結ぶ大幹線で途中天津から上海方面津浦鉄路が分岐し、終点奉天では日本の南満州鉄道や朝鮮方面の路線と連絡していた。京漢鉄路は漢口を経て香港方面を結ぶ幹線であった。
北京、鉄道と戦争
外国勢力の排除を掲げてた秘密結社「義和団」が外国権益に対する攻撃を繰り返す反乱がおこると、西太后がこれを支持し、1900年、清国は欧米列国に宣戦布告し、国際戦争となった。しかし、2か月もしないうちに、八か国連合軍(英・露・日・仏・米・独・伊・墺)によって首都北京が制圧され、西太后は逃亡・保身、義和団を反乱軍とする形で戦争が終結し、北京議定書が調印された。
八か国連合軍は破壊された鉄道を修復しながら北京に進軍し、京奉鉄路の永定門=正陽門間、京漢鉄路の盧溝橋=前門間はこの時(1901年)に建設されている。
そして、京張鉄路が1909年豊台駅から西直門駅経由で張家口まで開通し、中国の資本・技術でつくられた最初の鉄道になった。西直門から正陽門までの京張鉄路環城線は1915年開通している。
正陽門駅
前門駅
豊台駅
北京駅
北京西駅
北京南駅(永定門)
北京北駅(西直門)
華北交通
華中鉄道
京釡・京義・安奉経由
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環城鉄路
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昭和55年、北京駅上野駅友好交流記念乗車券のおまけで作られた「夢の乗車券/北京<->上野」国鉄東京北鉄道管理局
欧亜連絡
 1911年から始まった辛亥革命では孫文が中心となって南京に中華民国の臨時政府を立て清朝を滅亡させたのだが、清朝を裏切った袁世凱が大総統となり北京に臨時政府が移された。袁世凱がその後1916年に没し、本当の中華民国が樹立すると、満州に勢力を広げていた軍閥を倒すための北伐が開始された。1928年の張作霖爆殺により北方軍閥の勢力は衰え、中華民国は首都を南京に移した。この時北京は北平と改称された。1931年の満州事変、1932年の上海事件から燻り続けた日中関係は、1937年の盧溝橋事件、第二次上海事件を発端として 、全面戦争へと拡大していった。日本軍に占領された北平は、1937年10月には北京と改称され、12月の南京陥落のあと、中華民国臨時政府の結成式典が行われ、南京では「中華民国維新政府」が興った。両政権はその後、1940年の汪兆銘による南京国民政府に統合されていく。このようにして日本軍の傀儡政権に支配された華北と華中の地域では、「華北交通」、「華中鉄道」なる日中合弁会社が設立され、鉄道の修復と運営にあたった。
1937年12月14日、北京で中華民国臨時政府が設立された。天安門に掲げられた祝賀文字。(奉天から北京へ JTB 昭和13年)
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