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新潟港
東亜欧米一周の旅
北鮮・浦塩航路
北鮮・浦塩航路
大阪商船
北日本汽船
日本海汽船
昭和6(1931)年9月1日、清水隧道の完成により上越線が全通した。その直後の9月18日には、満鉄線爆破による柳条湖事件が起こり満州事変へと拡大し、昭和7(1932)年には満州国建国宣言となった。東京−新潟間の所要時間は従来の信越本線経由や磐越西線経由の約11時間から約7時間に短縮され、また、対岸の満州では昭和8(1933)年の京図線と北鮮三港の完成によって、新潟−北鮮三港間の航路を介してのルートが注目されるようになった。昭和10年の政府命令航路に指定され、昭和13(1938)年には新潟経由東京新京間が国策ルートになり、月山丸などの4500トン級の新造船が投入された。昭和15(1940)年10月からは上野発新潟行き急行列車に客車2両と荷物車1両が増結されて、沼垂駅で切り離して新潟中央埠頭(県営埠頭)に乗り入れて北鮮航路の船舶に直接連絡するようになったが、昭和17(1942)年4月1日にはこの新潟県専用線を鉄道省が譲り受け、沼垂駅長管理の貨物駅として新潟港駅が誕生し、ますます新潟経由満州行き経路は活況を見せた。昭和20年5月ころから米軍機による機雷投下が激しくなり、船舶の安全運航に支障が出始めるようになり、昭和27年まで安全な港湾ではなかった。
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1:25000 新潟 S22測量
新潟市 (吉田初三郎) 別冊太陽より
日満連絡時刻 S17-7 時刻表復刻版 新人物往来社刊より
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上越線単線区間 2005
朝鮮鉄道略図
満州路線図
日本の玄関
欧亜連絡
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朝鮮北部・浦塩経由