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翌14年11月には関釜昼行便に接続した釜山−北京間急行「興亜」が誕生、前年設定された釜山−北京間の急行は「大陸」と命名された。これらの列車は東洋では最長距離列車で2067kmを39時間弱で走りぬき、勿論、最後尾には展望車が連結されていた。その車輌は鮮鉄のものではなく満鉄の密閉型展望一等寝台車(テンイネ1)で、特急「あじあ」の展望車(テンイ8)を 連想するものであった。満洲國建国10周年のとし1942(昭和17)年8月には「 ひかり」は哈爾賓まで延長され1780kmを36時間弱で 走った。まさにこの時、日鮮満連絡鉄道の黄金期は 絶頂に達したのである。しかしこの黄金期は長くは 続かなかった。戦局の悪化によって、旅客輸送は圧縮減便し戦時物資輸送に重点を置く輸送体形に変化 せざるをえなかったのである。1943(昭和18)年10月に は関釜航路の新造船「崑崙丸」が僅か半年目にして 米潜水艦の雷撃を受けて沈没、これは連絡船の戦争犠牲第一号であった。これ以降、関釜夜行便は運航を休止し、接続していた「あかつき」は運休、「大陸」は京城−北京に短縮された。
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京釡・京義・安奉経由
優等列車
京釜・京義・安奉経由優等列車(1)
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GW97347 には展望台側のステップが残されているが、GW97349 にはそれがない。屋内保存の GW97336 は周恩来専用車であった。これは、テンイネ1型の唯一展望台なしで製作された車両との説がある(P.83 J train 2003 March, vol9)。通路は反対である。
中国鉄道博物館(北京) 2006年5月
急行”大陸”の展望車
忘れえぬ満鉄 世界文化社 昭和63年 より 
1944(昭和19)年2月には「のぞみ」と短縮された「大陸」も廃止されてしまった。この時点で「興亜」と「ひかり」が残っていたが大幅に速度を低下して運転していた。「興亜」が釜山−北京間48時間強、「ひかり」が釜山−哈爾賓間45時間半をかけて走った。
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