グラフトン駅
ボルチモア・オハイオ鉄道は、1853年にホィーリング (Wheeling, WV) までの路線を完成し、1857年には途中のグラフトン (Grafton,
WV) から西へ分岐し、パーカースバーグ (Parkersburg, WV) への路線を敷いた。この分岐点に 1857年に完成した駅舎はホテル併設で、シカゴ方面の本線と、セントルイス方面の本線の乗換旅客の需要にこたえていた。1911年には場所も移動して新しい駅舎とホテル(Willard
Hotel) が完成した。現在ではホテルは空家となり、旧駅舎は鉄道事務所として使用されている。
グラフトン付近での B&O鉄道の変遷
ボルティモア・オハイオ鉄道は、ホィーリング(Wheeling,
WV) にて、最初の目的地、オハイオ川に到達した。1853年の元日であった。そして、オハイオ川の対岸では セントラル・オハイオ鉄道の コロンバス
までの路線が連絡していた。そして、ここから先は吸収合併によって路線を拡大していくことになる。1868年にはセントラル・オハイオ鉄道を、1869年には途中の
ニューワーク (Newark,OH) から、Sundasky, Mansfield and Newark 鉄道をリースし、 1874年までにシカゴへの路線を完成させた。本線途中の
カンバーランド (Cumberland,WV) から ピッツバーグまで 1871年に開通した ピッツバーグ・コーネルビル鉄道を1872年にリースすることにより、後に
シカゴ=ボルティモア 間の本線となっていく ピッツバーグ経由のルートの開拓が始まり、1891年には、ピッツバーグ=アクロン間の ピッツバーグ・ウェスタン鉄道
(Pittsuburg & Western Railroad) の買収と、アクロン=シカゴ・ジャンクション間 の路線建設で、新たな本線が出来上がった。当初は貨物列車のみの運転であったが、1893年からは旅客列車の直通も行われるようになった。
セントルイス方面では、1857年の パーカースバーグ (Parkersburg, WV) までの路線開通により、既に開通していた マリエッタ・シンシナーティ鉄道
(Marietta & Cinsinnati) を介して シンシナーティ (Cincinnati, OH) へ、さらに オハイオ・ミシシッピ鉄道 (Ohio & Mississippi)
を介して セントルイス (St.Louis, MO) に到達することができるようになった。
写真
上:1997年8月撮影
地図
左:USGS 1976年測量 右:鳥瞰図 1898年 下:旧駅舎とホテル