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久留里線 木更津
小湊鉄道
列車交換が15年ぶりに復活
里見駅
1Aの到着で、通券(緑)とスタフ(●)の交換。
列車を見送る。
通券(緑)の無効化。
里見駅 3/20-2013
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上総中野駅
かつては1−3番線と側線で小湊鉄道と木原線がつながっていた。
<消えゆくローカル線 葛ヒ原書店 1982年二版発行 宮脇俊三編、諸河久写真>
郷愁編(通票閉塞)
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3Aの到着、通票(▲)受け取り。
通票(▲)を用いて、通券箱を開き、通券の発行。
8A列車は通券で発車。キャリア3本は通券時のみ。
里見駅 3/20-2013
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2013年3月16日の時刻改正以降、いすみ鉄道のキハ28、キハ52の国鉄型編成との並びが見られるようになった。 2013年3月20日
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キハ4100 国鉄のガソリン動車ディーゼル化した。
ジハ100(左) と 青梅電鉄モハ104(1928年製)を改造した機械式ディーゼル車キハ6101(左)
三信鉄道のデ301を液体式ディーゼル車に改造したキハ5800
左の白黒写真: 鉄道ジャーナル , Vol157, 3/1980
右: 今も車体が保存されている。
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10Aの発車、通券の発行、7Aに通票を見せて通券を渡される。
上総牛久駅 3/20-2013
五井から鶴舞を経て小湊にいたる鉄道が軽便鉄道法によって免許を受け、1925年3月7日、五井−里見間が開通、1926年9月1日に月崎、1928年5月16日に上総中野まで開通した。1929年、世界恐慌の影響を受け、資金難によりその後の延長工事は頓挫し、1936年には免許が失効してしまったが、1934年に木原線と上総中野で線路が結ばれたことにより、房総縦断は一応の完成をみている。
全線、票券閉塞式であったが、1973年に五井−上総牛久間が自動閉塞化された。里見−上総中野間では、養老渓谷でも交換可能であったが、1985年には一閉塞化、1988年からスタフ閉塞式となり、1998年には里見駅での交換廃止、上総牛久−上総中野間がスタフ閉塞となった。2013年3月16日のダイヤ改正では、里見駅の交換が復活し、上総牛久−里見間が票券閉塞、里見−上総中野間がスタフ閉塞となった。
開業当初はC型タンク式蒸気機関車3両、木造ボギー客車6両、貨車16両で客車列車の運転であったが、1928年にガソリン車の導入が始まり、1933年にはボギー式ガソリン車 ジハ100,101、戦後は1950年に国鉄からキハ41000型4両、1956年にキハ6100・6101が入線し、貨物列車も気動車牽引に変わった。1960年にはキハ5800・5801が入線し、1961年にはキハ201・202が新車で入線、以来、1972年までに5回の増備を重ね14両の大所帯となった。その間1970年にはキハ5800が休車、キハ5801が廃車となった。キハ5800は1997年に除籍となったが、現在も車体が車庫に保管されている。
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