Praha Masarykovo nadrazi
プラハ マサリク駅
北部鉄道(kk Nördliche Staatsbahn)がプラハ=オロモウツ(Olomouc)間で鉄道を開業した時、1845年プラハでの最初の駅として、プラハ・マサリク駅は、現在地に開業した。北部鉄道は 1849年にブルノ(Bruno)で、皇帝フェルディナント北部鉄道と連絡し、ウィーンへのルートを作っている。また、1851年にはザクセンとの国境に達し、ドレスデンへの連絡も開始している。
開業時の駅名へ「プラグ(Prag)」で、1862年には「ステート駅(Prag Staatsbahnhof)」、1919年から「マサリク駅(Praha Masarykovo nadrazi)となったが、途中、
「ヒベルン駅(Praha Hyvernske nadrazi)、「ストレド駅(Praha stred)」を経て、現在は「マサリク駅(Praha Masarykovo nadrazi)」になっている。
プラハ・マサリク駅 2011年8月
上:手前の建物は開業時の建物、駅舎内に展示されている昔の絵葉書から開業時の建物の位置関係がよくわかる。
右1:駅舎からプラットフォームに続く通路 右2・3:側面置くの建物も開業時からのもの。右:プラットフォーム
Wien