ポーゼン・クロスバーグ鉄道(Posen-Kreuzburger Eisenbahn)によって、ポーゼン(Posen, Poznan)から路線がクロスバーグ(Kreuzburg, Kluczbork)まで開通した
1875年、オストローウォ(Ostrowo, Ostrow Wielkopolski)駅は中間駅として開業した。1888年には リーサ(Lissa, Leszno) への路線が開通、クロトシン(Krotoschin,Krotoszyn)経由でブレスロウ(Breslau,
Wroclaw)、ベンチェンを経由でベルリン、ザガン経由でライプツィヒやカッセルへの路線が開かれた。1896年にはスカミエルジチェ(Skalmierzyce)
への路線が開通し、ロシアへの連絡列車が走るようになり、欧州交通の要衝となった。
第一次大戦前、1914年の時刻表によれば、ベルリン発着のD55/D56列車にはポーゼン経由の車両が、カッセル発着のD103/D102では
リーサでベルリン発着のD61/D62列車から車両が加わり、ブレスロウからはD23/D24列車が、それぞれ直通客車を連結して、カリッシュ(ロシア行き)、スカルミエジッチェ(ロシア発)で、ワルシャワ・モスクワ発着列車に連絡していた。