クラクフは、1795年の第3次ポーランド分割で、オーストリア領ガリツィアに組み込まれ、1815年のウィーン議定書では、クラクフ共和国として自治が認められた。しかし、オーストリアの干渉が強まるなか、1846年クラクフ蜂起が鎮圧されると、1847年からは再びオーストリア領となった。その年、1847年10月13日、クラクフ駅は開業し、クラクフ・上シュレジア鉄道(Krakau-Oberschlesische Eisenbahn) のプロイセン国境のミスロビッツ(Myslovitz, Myslowice)までの路線の始発駅となった。その後、東へは、1856年にデムビツァ(Dembica, Debica)、1861年にはレンベルク(Lemberg, Lwow, Lwiw)への路線が開通した。
1971年にはワルシャワへの高速線が開通した。
←↑ クラクフ駅 2015年8月撮影
駅の機能は2014年に完成した新駅に移されたが、1894年に完成した駅舎は残されている。
絵葉書:1923年頃のクラクフ駅 Fotopolska より
地図: Baedeker 1911年オーストリア・ハンガリー より
1847 Kraków -> Krakau -Kraków -> 1918 Kraków 1939 Krakau -> 1945 Kraków
Kraków