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美濃赤坂
名古屋
東海道本線
揖斐川橋梁
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中山道鉄道の一部として、長浜から東進してきた線路は、明治17(1884)年5月25日に 大垣 に到達し、揖斐川の橋梁が、明治17年5月に着工された。明治19(1886)年12月に竣工した橋梁は、英国下路式の錬鉄五連ダブルワーレントラス桁橋で、200フィートの長さは当時では最大級、幹線鉄道の橋として高度な技術を駆使して建設されたものであった。揖斐川橋梁の完成により明治20年1月21日、鉄道は加納(岐阜)まで開通、明治20(1887)年4月25日には木曽川橋梁の完成により、敦賀・神戸−武豊間の鉄道が開通した。東海道線は明治22年4月16日の 静岡‐浜松間の開通により全通した。
木曽川駅は、2008年まで使われていた明治25(1892)年建造の駅舎の一部として、跨線橋の柱とホーム上屋の柱、そして煉瓦の倉庫が残されている。(2015年5月訪問)
明治時代に作られた鉄橋が2つ並んでいる揖斐川への最寄駅である樽見鉄道東大垣駅では、かつて樽見鉄道内で使用されていた閉塞機が集められ保管されている。(2015年5月訪問)
開通時の揖斐川橋梁は、大正2(1913)年に道路橋に転用となり、現在も歩行者専用橋として使用されている。また付近の築堤には見事なねじりマンボ様式の歩行者トンネルも見られる。東海道線と並行して揖斐川を渡る樽見鉄道は、昭和30年の開通であるが、その橋脚には、明治34(1901)年に御殿場線(旧東海道線)が複線化された際に使われた橋桁が、単線化によって不使用になっていたものが移設されれて使われいる。明治33(1900)年に製造されたものである。(2015年5月訪問)
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