朝鮮総督府鉄道初の電気機関車
デロイ第1号機は東芝府中において昭和18年6月完成した。終戦までに東芝製デロイ型5両、日立製デロニ型4両の計9両が朝鮮総督府鉄道に納入され、京元線で使用された。京元線(福渓−高山)の電化は昭和19年4月、この区間は解放後は北朝鮮側に属し、就役中のデロイ・デロニ8両はその後北の手によって運転された。直流3000ボルトであった。残り1両は当時電化が計画されていた中央線用にソウル工場に保存され、戦前に完成して納入待ちだった5両とあわせて、韓国国鉄の所有は6両となったが、朝鮮戦争時に、北朝鮮によって持ち去られ、韓国側に残るのは1両のみとなった。中央線の電化は依然として実行されず、残された1両も1958年に解体された。その後、清涼里−提川間が交流電化されたのは1973年になってからであった。
京元線の急勾配区間
福渓駅は平康高原の盆地にある一小部落ではあったが、蒸気機関車の給水場所として急行列車も停車する駅であって漸次発展してきた、この駅で咸鏡線方面の列車は数分間停車して、機関車は水を呑む。そして朝鮮半島を横断する背梁山脈越えに挑んでいくのである。列車は海抜554米の剣仏浪駅を過ぎると25/1000の連続急勾配を上り、朝鮮総督府鉄道の最高地点603米の分水嶺を越え、洗浦駅に着く。広漠たる高原地帯の一寒村に有るこの駅を過ぎると、京元線は元山に向かって一路下り勾配を駆け下りる。此処から三防駅までは断崖迫る峡谷を一条の渓流に沿って急角度で下り、14箇所の隧道と19の橋梁を以ってするいわゆる三防幽峡の絶景を楽しみながらの行程となる。途中三防峡の簡易停車場付近では駅前に荒井牧場一軒だけの寂しいところながら、薬水の湧出と渓谷美を以って知られているところでも有る。峡谷を下り終えると三防駅である。此処では昔、三関防を置いたところで、付近にその関跡が残っている。次の高山駅からは平原地帯となり、東海線の乗り換え駅の安辺を経て元山駅に至る。