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京義線
都羅山駅
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京義線 都羅山駅
南北間鉄道連結が決定され、2002年2月14日、臨時の都羅山行き列車が運行され臨津江鉄橋にも鉄道がもどってきた。2002年4月11日からは定期列車が運行されている。現在の列車は駅舎より1番線からの発着である。更に、韓国方面行きホームと北朝鮮方面行きホームが完成している。駅名板には隣駅として、臨津江と開城が書かれている。2つのホームは、ガラスの中間隔離板にて完全に隔離されており、国際乗り換え駅としての設備を整えている。(写真:左)  入出国管理などの保安設備が設けるための工事なのか、大部分は仮設壁によって仕切られ全体像を見ることはできない。(写真:中)  現在の列車は駅舎より1番線からの発着であるが、北朝鮮方面行きのホームに直結された出入り口を利用する。電照式案内板には「平壌方面乗り場」とある。通路は事務用のものを利用し、南北間連絡鉄道が開通した暁には別の出入り口になるのだろう。都羅山駅は民間人立入統制区域で、非武装地帯の直前にあるので、乗車券の受け取りも軍憲兵が行う。(写真:右)  都羅山駅の先、林の向こうは非武装地帯、そして4km先は北朝鮮である。(写真:右中)臨津江鉄橋の旧下り線(昭和16年完成)は長く道路橋に転用されていたが2002年から鉄道橋に戻った。旧上り線は破壊されたままの姿を残している。  写真:2005年11月13日撮影
京釡・京義・安奉経由
京義本線略歴
廃線跡・鉄道史跡
北緯38度
臨津江
欧亜連絡
京義線 ムン山−都羅山
京義線は日本の軍用鉄道として建設され、明治39年に龍山−新義州間が開通し、その後の改良を重ね、第二次大戦直前には全線の複線化が完成した。この区間には臨津江鉄橋があり、下り線用の新線鉄橋は1941(昭和16)年11月25日に開通、途中の臨津江駅は複線化に先立ってムン山−長端間11.8キロの閉塞区間を5.9キロ*2閉塞にするために設けられたようだ。朝鮮総督府官報によれば、昭和13年9月1日から昭和16年10月31日まで簡易停車場としての営業である。
日本の敗戦後、京義線は南北に分断され、当初はソウル−土城間が南側地域として運転されていたが、朝鮮戦争によって設けられた南北境界休戦ラインは南下して、長端駅付近となった。それ以降長く、ムン山が京義線の韓国側最北端となっていたが、2002年2月14日、52年ぶりに臨津江を渡る列車が実現した。
臨津江辺に設けられた臨津閣には、戦前の蒸気機関車(ミカサ型)と客車(ハ9型)が展示されていたが、京義線の復活に伴って保存場所の移動と客車車体の茶色への塗り替えが行われ、車内は喫茶室となっている。床下を覗くと、「田中車輌 昭和14年製造」のプレートが残っていた。 写真:2005年11月13日撮影
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朝鮮鉄道略図
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