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密陽−楡川    1991年8月  
現在線が密陽江を渡って楡川駅に進入しようというところで旧線跡が顔を出す。旧線はそのまま密陽江を渡らずに旧楡川駅の先で再び密陽江を渡ってきた現在線と合流していた。この区間の新線は旧楡川駅を含む密陽江に沿った部分が複線化用地の確保に適していなかったためにわざわざ密陽江を二回も渡る現在の経路に変更したのである。この区間の複線化が完成したのは1945(昭和20)年である。旧楡川駅付近の旧線は川岸の砂利道として残っており途中にあった二つのトンネル(密陽方の現在は使われていないものと楡川方の道として使われているもの)や橋台などもまだ残っていた。旧楡川駅はそのホームの跡が畑のなかに石がつな がった形で残っていた。
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密陽−楡川    1991年8月
密陽駅をすぎ密陽江を渡る鉄橋は複線のそれぞれ ェ異なった角度で江を渡る。南行線の橋は現在の密陽トンネル経由の新線が出来る以前に密陽江に沿って山を一回りしていた旧線時代からの橋梁の再利用である。この橋は楡川寄りの数本の橋脚が複線化(1945年)の際 に新設されたほかは石造りの古いままである。旧線は密陽江を渡り終えるとすぐに右へ曲がり途中短いトンネルを潜って密陽江沿いのルートで再び現在線に合流する経路を通っていた。旧線跡は今は細い道となっており、所々に鉄道時代の橋台をそのまま再利用した短い橋が架かっていた。また月淵隧道と名付けられたトンネルは二本のトンネルが一組になっており、密陽側の入口には額石が残っていた。それには「日本明治丗七年四月竣工」とあった。日韓併合が1910(明治43)年であるから、まだ大韓帝国時代の外国の地に日本の年号を用いて記された額である。88年前に完成し、47年前に廃止されたトンネルが残っていた事実に感動すると同時に、日本人が学校で教えられることのない過去の日本帝国の行きすぎた大陸への野望そして忘れてはならない侵略の事実、それらを今に伝える現物の証拠が鉄道の廃線跡を歩くことによって発見できることのすばらしさを感じたのであった。
京釡線 
密陽ー楡川間
旧楡川駅南方のトンネル
旧楡川駅ホーム跡
密陽駅北方の月淵隧道 
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楡川駅(現) 
楡川駅(旧) 
密陽駅 
釜山
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欧亜連絡
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