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京義線 龍山線
西江ー龍山
臨津江
ソウル
京義本線略歴
廃線跡・鉄道史跡
朝鮮鉄道略図
京釡・京義・安奉経由
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京城
新村
延嬉
西江
孔徳里
東幕
元町
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弥生町
細橋里
放送所前
唐人里
龍山
西小門
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1:25,000 京城 昭和12年修正測図
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左:孔徳里駅跡、ホームが一面、左にはかつての複線時代の敷地が残っている。 
右:弥生町駅跡、龍山からここまで複線でこの先、水色まで単線になる。ここが信号所として機能している。 
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上: 東幕付近、単線時代から使われている道路トンネルは石積、反対側は複線化の際に作られたコンクリート製であった。
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龍山線区間では、西江駅が現在も貨物駅として使われているが旅客駅時代の駅舎と思われる建物と旅客用ホームが残っていた。西江駅の構内を過ぎると線路は単線になるが、かつては複線であったためその用地は広々としている。東幕駅は敷地の面からその位置はわかったが跡形は何も見付けられなかった。高い築堤の上を更に進むと道路を越えるガードが現われ旧下り線のそれを渡ると、そこは孔徳里駅の跡であった。現在の単線に沿ってホームが残っていた。旧孔徳里駅の構内が終わる踏切の辺りから線路は単線化されずに複線のまま残され龍山まで続いていた。複線区間が始まってすぐに弥生町駅の跡が現われた。ここにも下り線に沿って旅客ホームが残っていた。ここは先程の単線区間の入り口の信号場として現在も機能しているらしく、通票授受装置が在った。この信号場は前述の通り旧元町駅を改称した孝昌駅がこの地へ移転してきたものである。この先築堤は高さを増して旧元町駅へ続いている。 1943(昭和18)年の頃には龍山線の旅客列車は龍山駅には乗り入れないでこの元町駅折り返しで唐人里方面へ行っていたので、
終戦直前には龍山−水色間が複線化されたが、その後の南北分断で建設時の理由がなくなり単線化された。その用地はいまだに残されている。 
欧亜連絡
それなりの駅であったと思われるが、線路脇の塀のためにその跡を確かめることは出来なかった。明治の昔、最初の京義線の一部として開通したこの龍山線は新村経由の京義線新線の開通により一旦は廃止となった。その後、ソウル市街部の拡大と共に都市環状旅客線として第二の使命を果たす事となり、更に朝鮮半島最大の貨物操車場開設と客貨分離のために重要貨物線として第三の使命を果たした。 現在は朝鮮半島分断による貨物輸送の変化とソウル市街部の江南地区への発展により再び閑散貨物線となったが、朝鮮鉄道史上本当に意義深い路線である。 「*:放送所AP=放送所前」 。 (1990年時点)
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