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廃線跡の現状  1990年5月3日、
私は水色操車場の跡に作られた客車基地を見たあと、京義線の列車にのって新村駅に向かった。加佐駅を過ぎて龍山貨物線を右に分けて新村駅が近付くと、右手から築堤が合流してしばらく京義線と平行して新村駅へと続いていくのが見えた。この築堤が旧龍山線の跡である。そしてその合流地点の辺りが延_駅跡である。この延_駅は他の龍山線の駅よりも早く昭和14年10月31日に廃止されている。列車はすぐに新村駅に到着した。この区間はわずか600mである。
新村駅には京義線の長いホームの横、駅舎側にもう一本の短いホームがあった。レールは敷かれているが現在はほとんど使われていないようで、旧龍山線はここを発着していたものと思われる。駅をおりて今来た方向に戻るように歩くと、高い築堤の上に旧線があったが見ることが出来ず、先程の分岐点つまり延_駅の在ったと思われる所まで来たが様子が良くわからない。しかたなく京義線の築堤によじ登って分岐点を見てみたがやはり古い廃止駅なので何の跡形も見付けることは出来なかった。 そして京義線から分かれた旧線は大きくカーブをして新しく建ち並んだ住宅地に姿を変えていた。もう跡形は何も見付けることは出来ない。しばらくすると大通りと交差する。この道路のむこう側には、やはりカーブをした道が続いており、ここが旧線跡であることを明瞭に示している。この道はカーブをしつづけて、やがて民家に遮られて細い細い道となり、それを抜けたところが龍山貨物線との合流地点となっていた。先に西江駅が見えている。  
京義線 龍山線
新村ー唐人里
龍山線2
わたしは、ここから唐人里に向かうために西江駅とは逆の方向へ進むことにした。 すぐ目の前で龍山貨物線は陸橋をくぐるが、これを越えたところから唐人里への旧線は龍山貨物線とは少しずつ離れ、踏み切りを越えたところから左へカーブしていく。この辺りに旧細橋里駅が在ったはずなので、詳しく探してみると十メートル程のコンクリートの列があり、これがホームの跡と思われる。住宅を上に乗せた旧線敷きは左へカーブをしつつ旧放送所前駅に続いているが、途中には橋台が残り、旧放送所前駅の手前400m程は泥道として残っている。駅の跡はまわりの状況から明らかにそことわかる位置にあった。ここにもコンクリートで出来た列が在り、ホームの跡と思われる。もともと低いホームではあるが、その線路側は埋められて舗装され、ホーム跡と同じ高さになっている。ここから先は舗装された道となって鉄道跡はほとんど無くなってしまっていた。この道はバス通りと交差してその先の漢江沿いまで続いている。丁度この辺りに旧唐人里駅があったのである。現在ここには新築のマンションが建ち並んでいた。マンションの先には工場の敷地となっていてその中の様子は全くうかがえなかったが、そこの境の塀の所には鉄道の橋台がひとつ残っていた。唐人里駅の開設が火力発電所開設と同時であり(韓国鉄道要覧集)、昭和19年4月9日迄は細橋里−唐人里間が国鉄線でなく借入線であったこと(朝鮮総督府官報)から、この路線はかつてこの地にあった発電所の物資輸送の為に敷設されたものであることが解る。


 
龍山線2
朝鮮鉄道略図
京義本線略歴
廃線跡・鉄道史跡
京釡・京義・安奉経由
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 唐人里付近には工場への引き込み線の橋台が残っていた。
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調査年月日
ソウル-新村/ 新村-西江/ 西江-唐人里 1990.05.03  西江-竜山 1990.12.28   
欧亜連絡
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細橋里駅跡縁石の右側がホーム
放送所前駅跡 縁石の左側がホーム
龍山線の列車は京城−新村−西江−唐人里−西江−龍山のルートを走っていた。路線自体が廃線になった上記の新村−西江−唐人里の他に、京義線区間に西小門、阿_里、更に龍山線区間に西江、東幕、孔徳里、弥生町、元町の各駅に停車していた。これらの駅のうち西小門・阿_里・孔徳里・弥生町は昭和19年3月31日を以て廃止され、解放直前の龍山線の駅は京城−新村−西江(−唐人里)−東幕−元町−龍山であり、旅客列車は元町−龍山の営業を行なっていなかった。この昭和19年3月31日はおそらくは龍山線が複線化された時であると思われる。残された駅は全て単線時代の交換駅であった。解放後の龍山線は元町駅を孝昌駅と改称して営業を続け、その後(時期不明)孝昌駅は龍山起点1.2kmから1.8kmに移転されて現在は弥生町駅のあったところにある。此処は龍山方向から来た複線が単線に変わるところで信号扱いをしているようだ。  廃止されたそれらの駅について現地調査を行なった。ソウル駅をでた京義線列車が左へ曲り踏切を渡る。ここが西小門駅の跡だと思われる。更に京義線列車が進んで一つ目のトンネルをでたところの上下線の間に客車2輛分くらいの島式ホームが残っている。これが阿{山見}里駅の跡である。
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