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第二世代のエムプレス・オブ・ラシアは1913年3月24日、インディアの時と同じように世界一周旅行客を乗せて、リバプールを香港に向けて出航した。姉妹船はエムプレス・オブ・エイシアで16810トン、蒸気タービン機関で最高速20ノット、横浜-バンクーバー間の所要日数は約8日であった。第一次世界大戦でドイツから来た賠償船ティルピッツ(Tirpitz)はエムプレス・オブ・オーストラリアとして、1922年7月28日の西航横浜行きで航海を開始した。21861トンの大型船であったが、巡航速度16ノットは鈍足で他の生粋エムプレス船隊に遅れを取っていた。また、この直前、1922年6月22日新造船エムプレス・オブ・カナダが太平洋横断初航海を終了し、バンクーバーに到着している。21517トン、巡航速度18ノット、船内居住性は格段に向上した。
そして、太平洋線最後の新造船となったのは、エムプレス・オブ・ジャパンで1930年8月定期便に入った。巡航速度21ノット、26032トン、太平洋航路きっての大型船でまさに太平洋の女王であった。
カナディアンパシフィック汽船の太平洋航路は1941年1月11日、バンクーバーに到着したエムプレス・オブ・エイシアの航海を以て幕を閉じた。戦後の航路再開はなかった。
カナダ太平洋 汽船
バンクーバー航路
北米大陸
バンクーバー港
横浜港
Vancouver
Honolulu
横浜
神戸
長崎
Manila
香港
上海
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エンプレス オブ ラッシャ
エンプレス オブ インディア
カナパシ時刻表 1937
太平洋航路
太平洋航路
カナディアン・パシフィック鉄道は大陸横断鉄道を1886年完成し、7月4日最初のモントリオールからの列車が太平洋連絡終着駅ポートムーディーに到着した。1887年5月には鉄道はバンクーバーまで延長され、その先は太平洋を横断して極東の英国植民地・香港まで海路で結ぶというのがカナディアン・パシフィック鉄道の構想であった。しかし、初めは全くの別会社のカナディアン・パシフィック汽船(Canadian Pacific Steamship、CPS)が汽船運航をし、鉄道会社直営のカナディアン・パシフィック鉄道郵便汽船会社(Canadian Pacific Railway's Royal Mail Steamship Line)となるのは1891年のエムプレス船団の就航の時からである。ともあれこの航路の第一船パーシャは1887年6月12日香港からの航海を終え、バンクーバーに到着した。極東-英国の所要日数はスエズ運河経由のP&O船隊より短縮されので、1887年12月英国及びカナダ政府は郵便輸送助成金交付を決定し、これを使ってエムプレス船団が建造された。第一番船となったのはエムプレス・オブ・インディア、1891年2月8日英国リバプールを香港に向けて出航した。太平洋航路に就航するための回航の便乗客扱いで世界一周をうたったものであった。香港からは太平洋航路定期便として、4月7日出航した。姉妹船はエムプレス・オブ・ジャパンとエムプレス・オブ・チャイナで5900トン、仮装巡洋艦への変装にも対応した高速船で最高速18.65ノットを記録している。2本煙突に3本マスト、帆走機構も備え、船首像もついたクラシックで優美な船影であった。横浜-バンクーバー間はおよそ11日で航行した。
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