a085009.jpg
a085008.gif
a002012.gif
a002012.gif
龍仁−午川
利川−梅柳
朝鮮京東鉄道 水麗線
午川ー利川
a085007.jpg
a085006.jpg
a085005.gif
a085004.gif
朝鮮鉄道略図
廃線跡・鉄道史跡
水麗線 略歴
京釡・京義・安奉経由
欧亜連絡
a085003.gif
午川-利川 調査年月日 1990.12.30 
 駅舎の残る午川駅跡を後にして田圃のなかに残る築堤を10分くらい歩くと高級焼肉店に突き当たる。此処はちょうど旧線が川を渡るところで、裏には橋台と橋脚が残っていた(写真:上)。旧道よりも旧線寄りに新設された道路橋を迂回して川の対岸に渡り崩れかけた築堤を歩くと左にカーブして梨峙里の集落を通りかかった。ここには線路脇に農協倉庫があり駅があったような雰囲気だが実際には無かったようだ。ここから徐々に築堤は高くなって行き途中に田圃を渡る橋台を残してナムト峠にさしかかった。峠とは云っても韓國の峠は緩やかな岡を越えるようなものである。その頂点には旧線跡の敷地にベンチが二つ三つある休憩所が作られていた。この小さな峠を過ぎると旧線は国道の左側にぴたりとくっつき橋台が残っている二つの川を越えて標橋駅跡へ向っていた。標橋駅跡は集落の中心地にありその真の位置はよくわからなかった。
 標橋駅を過ぎるとじきに国道と交差して右側に移る。このSカーブの部分は雪の上からも鮮明に感じ取れた。少し行くと中部高速道路の利川出口の下をくぐった。この辺りからまた国道と離れ始め、少し高めの築堤に橋台が残っていて(写真:下)酉山駅跡に近付いた。酉山駅付近では道床は田圃となっていたが小川の脇を通って駅跡に着いた。駅は現在酉山バス停留所隣接したガソリンスタンドに整備されたところにあったようである。
 築堤は更に続き途中に2箇所の橋台を残して小さな切り取りへさしかかった。切り取り の後には再び橋台を介した築堤が続き、利川の市街部に達していた。利川の市街部の旧線跡はきれいな道路となり、バスターミナルの横を通って利川駅跡につながっていた。利川駅跡は全くの面影がなく、その位置は韓国電力公社の裏辺りかと思われるがはっきりした位置はわからなかった。
 冬の寒さのなかで街の川には湯気が立ち篭めていた。利川は陶芸の街として知られると共に温泉の街でもある。この街からの帰りにはソウル直行の高速バスを利用したが、日曜日の混雑で乗車までに1時間半待たされたうえに、ソウル付近の渋滞のために所定時間の3倍の3時間もかかってソウル高速バスターミナルに着いた。
a085002.gif
a085001.gif
a015001.gif