第9節 水驪線<水原-驪州>
朝鮮京東鐵道は京畿道南部奥地京釜線を結ぶ交通路を拓き沿線および奥地地域の産業、経済の開発をめざすために国鉄京釜線水原駅より東進して驪州に至る鐵道の免許を得て、更に後には、水原より西進して仁川港に至る水仁線を開通させて海陸交通路を確立した。朝鮮京東鐵道は昭和17年11月1日その全鐵道を朝鮮鐵道に譲渡して朝鮮鐵道京東線となった。その後終戦まで私設鐵道で残った狭軌鐵道である。解放後は国有鉄道となったが、設備は私鉄時代のままで莫大な赤字を抱えるローカル線になったため、1972年3月31日を以て廃止された。廃止直前の水驪線の様子は鉄道ジャーナル昭和44年8月号に竹島紀元氏のレポートがある。
調査年月日 水原-新葛 1990.05.05
新葛-陽智 1990.12.29
陽智-午川 1990.12.31
午川-利川 1990.12.30
利川-驪州 1990.05.02
停車場(貨物扱) 粁程 駅間 開設
水原 貨 0.0 0.0
本水原 貨 3.0
3.0 昭和05.12.01 華城(廃止時駅名)
遠川 貨 6.5 3.5 昭和05.12.01
徳谷 9.0 2.5 昭和07.05.11
新葛 貨 12.5 3.5 昭和05.12.01
漁汀 貨 15.9 3.4 昭和05.12.01
三街 21.8
5.9 昭和05.12.01
龍仁 貨 24.1 2.3 昭和05.12.01
麻坪 28.4 4.3 昭和05.12.01
陽智 貨 31.9 3.5 昭和05.12.01
斎日 貨 35.4 3.5 昭和05.12.01
午川 貨
40.0 4.6 昭和05.12.01
標橋 45.7 5.7 昭和05.12.01
酉山 貨 49.4 3.7 昭和05.12.01
利川 貨 53.1 3.7 昭和05.12.01
茂村 57.6 4.5 昭和06.12.01
竹堂 59.7
2.1 昭和07.09.01
梅柳 貨 64.4 4.7 昭和06.12.01
広大里 67.0 2.6 不明 (解放後開設)
新岱 69.7 2.7 昭和06.12.01 煙羅里(廃止時駅名)
驪州 貨 73.4 3.7 昭和06.12.01
全線の廃止は1972.3.31